仕事選びの考え方

自分の視点、自分の欲望で仕事は選ぶ

給料がいいい、この業界や企業は伸びそう、
歴史があるので安定していそう、

どうせ同じ仕事なら、その方がいい。
しかしそれを優先して考えると、
そこで働いても楽しくない。
仕事や同僚のスピードに追いついていけない。
安定はしているけど、結局ここにいる自分ってなに?
という感じになりかねない。

スキルや資格は、自分が楽しい、継続してやっていけるだけの興味がある、といったことがないと、中途半端になるし、資格だってペーパードライバーだったら、価値が全くなくなるしそのために努力した時間やお金だって無駄になるかもしれない。

資格や給料の高さって、考えてみると多少の長短はあっても、短い期間の喜び、ちょっと得な話にすぎないということがわかる。
地位だって同じようなことが言える。
課長に昇進した、うれしい。
そう思えるのは数年だろう。
早い人間は、他の成長可能性の高い部門で活躍しているが、
自分は、地味でもうすぐなくなるような部署、ということになれば、
とっちも楽しくないし、やる気も失せる。
そのうち同僚が次長に昇進すると、さらに落ち込む。
そのことの繰り返しかもしれない。

もちろんそんなことは全く気にしない。
自分は自分さ、と思えるならそれこそが自分らしさだが。

ピーターの法則というのは、組織の観点から見た個人の能力の成長可能性だと思う。
能力が発揮されているうちは、昇進するが、その能力が無能力化した時に、
そのポストで止まる、という法則だ。

この昇進を自分の興味というように言い換えたらどうだろう。
興味っていつまでも同じであることもあるし、
途中でどんどん変形していくこともある、
それでも自分で興味を持ち続けることをやっていれば、
ポストの代わりに楽しさややりがいは尽きることはない。

だから、最低限売っていけるだけの条件が揃えば、
自分本位で、本当に興味が持てることに取り組んでいった方が
人生は楽しいし、充実感を味わえるのではないだろうか?

そんなことをしていて、歳をとった時の生活はどうなる?
それは自分で責任をとるしかない。

しかしこれだけは言える、歳をとった時の性格の安定のために、
いまの時間や過ごし方を犠牲しにするという計算は成り立たない。

わかるよね。
充実した人が年をとっても、充実しているので、心配することがない。
充実した生活を送った人と後々の安定した生活のために、たのしくもないしごとをしてきたひとの生活は、そもそも、同じ選択肢を持つことはない。

そのはずだ。