欲望は尽きることがない?

『善と悪の経済学』をまだ読んでいる。
昨晩から今朝にかけて読んだところは、
欲望は尽きない、という箇所。
それが経済の発展に繋がったが、しかし個人は決して裕福にも、
おそらく幸福にはなっていないということ。

人間は、そもそも新しいこと、ものなどを知った瞬間に、
それを欲したり、試してみたくなるものらしい。
その好奇心がなければ、サピエンスとして進化はしてこなかった。
その好奇心という欲望は、競争を生み、他の生物の種を必要に応じて、
あるいは好奇心の赴くままに、絶滅させてきた。
これが歴史的な事実だ。

歴史的には、そうした人間はいつまでも決して幸福にはなれない。
だから何も持たないことができれば、欲求を抑え、その場での幸福を持つことができると考えたひともいた。
しかし、それは結果的に不可能だった。
したがって、人間の欲求は未だに収まることなく、再生産され、拡大している。
これだけ科学が進んでも、労働時間は減少せず、ローンもなくならず、
ワークライフバランスの均衡を問題にしなければならない状態だ。

この欲求をコントロールするのはもう無理で、
それを追求できないような法律、ルールをがんじがらめに作るのはどうなんだろう。
過労で自殺する若い女性の話題が、働き改革に繋がっている。
その法律が、完璧であるわけはないだろう。
見方によっては残業手当なき長期労働を強いる面もある。
しかし、それが本当に嫌であれば、そうした会社、仕事、待遇を拒否することはできる。
そもそも就職は、企業と個人の双方の労働契約だから、就業規則では一般的に一カ月の猶予を確保すれば破棄が可能だ。

しかし、退職に至るまでは追い詰められていないために、それに思いが至らない可能性もある。
だから、労働時間だけでなく、リカレントの時間、社会活動の時間を確保せよ。
国から補助を出すが、自己負担ももちろんある。
でもやらなくてはいけない、といったルールができたら、欲望は拡大しつつも、
今、それを目指すことができない。
しかし、結果的に個人の能力や知識は拡大し、
より良いパフォーマンスを上げることが可能になっていく。
そして最低限、あるいは必須の欲求だけは徐々に実現することができていく。
そうした世界が、必然なのではないか?

そこに必要なのは、公平な機会の提供だ。
全てはそれだ。