駒場でコーラス・コンサート&仲間と飲む

毎年、いまころに開催されるコンサートに行った。
いまの仕事の同期の桜5人と一緒だ。
同期といっても60歳を超えた先輩二人、50歳半ばが三人。
いずれも男性。
そしてそのコンサートに出演している30歳代の女性もその同期の一人だ。

コンサートは毎回思うのだが、
美しく、迫力もあり、また楽しい歌が盛り込まれ、
楽しいものだった。
今年のプログラムには、フォークソングやその時代のポピュラーも含まれ、
聞いていて、そのころのことを思い出した。

歌そのものもそうだが、
そのころのことがぱっと思い出されるから不思議だ。
思い出深い歌は、
その歌詞やメロディー、リズム、歌声、旋律に惹かれて
記憶に残っているものだから、
それだけ思い出を思い出させるフックが多いのだろう。

ガロ、オフコース、バンバンなどは、
まさにそれだ。

そのあとおきまりの一杯となったが、
昨年行った中華料理店が満員で
お好み焼き・もんじゃの店へ。
ここも混雑していたが、どうやら
もぐりこめた。

この5人が揃うのは新年会以来。
コンサートに参加したのは初めてだ。
ちょうど土曜日。翌日はみんな休みということもあり、
話が弾み、あっという間に時間が過ぎていった。

一番若いメンバーは、翌日10キロのランニングレースに参加というのに、
最後まで付き合ってくれた。

かねてから話をしていた海外旅行の話になり、
ベトナムから韓国に行き先が変更になった。
それぞれ仕事や家庭の事情で、
4日も5日もあけることができない。

日程が短ければ参加できるなら、
一度は全員で行こうということで話が進んだ。

5月中旬。

楽しみである



 

ビジョン、たまたま先日、友人と食事をした際にこのことを話してみた。
『いろいろ会社から対策が出るけれども、
 どれもがすでに発生した問題への対応策にすぎないような気がするんだ。
 これって、まずどのようになりたいのか、どうすべきかのビジョンがないと、
 ずっと後追い対策だけがどんどん出てきて、
 それでも解決はしないんじゃないか』
知人は首をかしげて
『ビジョンとかコンセプトとかって、よくみんな言うけど、
 はっきりしたことがわからないんだよね。
 まだコンセプトのほうがイメージしやすいかな』
という返事だった。

ビジョンに限らず、カタカナにしてしまうとその意味は、かなり複雑化してくる。
日本語だっていつの間にか出てくる言葉がある。

たとえば『立ち位置』とか『精査してみる』とかいう言葉。
僕は大嫌いなんだけれども、立ち位置って、立場とかポジションとどう違うんだろう。
精査って、よく調べる、検証してみるとどう違うんだろうといつも思っていた。

だいたい名詞にしていろいろな内容を詰め込もうとするから、
話がわからなくなってくる。
いままでの会話で出て来ない言葉を使うなら、
ちゃんと相違点を解釈してからしろって思うんだよね。

話を戻して、ビジョンのことだ。

ビジョンっていうのは、
企業の場合、まさにその存在、継続の目的であり、それを実現するために
最もふさわしい活動は、それに律されると考えている。

目的はすぐに達成されないから、そのプロセスでたできることから達成し続けるしかない。
収益を上げるにはいろいろな方法があるだろう。
でもその会社が、たとえば製薬会社のように人命を尊重する、
第一に考え優先する、と考えたら、
行動もそれが基準になり、それと関係ないところで収益をあげようとは考えないだろう。
収益を上げれば、その目的が達成しやすくなる、
というように迂回策を正当化するのは詭弁にすぎない。

そう考えれば、ビジョン=価値判断基準のない事業方針は、
組織の意思を表してはいない。

収益は確保しなければ存在し続けられないが
存在できない企業は、社会から認められていないと考えれば、
話は早い。

その企業が求めているものが、社会的に認められないものなのか、
あるいはやり方が間違っているかだ。
やりかたは判断基準で取捨選択されるし、
イデア不足や誤った常識に制約されていることが多い。

SFAの考え方を応用すれば、
うまくいかなかったら、やり方を変えるしかないのだ。
SFAと書くと営業支援のアプリケーションがでてくるけど、
 これはソリューション フォーカス アプローチのことです。