『捨てられたホワイトカラー』を読んで。

『捨てられたホワイトカラー』を読んで。

アメリカは転職社会とよく言われる。
自分のキャリアを、自分で描くために
そのチャンスを提供してくれそうな企業を選び、
自分の成長のレベルに合わせて企業を選んでいく。
そんな自主的で能動的なイメージを全部ではないにしてもおおよそのものとしてもっていた。

もちろん、アメリカは広く、様々な人種が集まり、
言葉や教養や宗教などによって、明らかに差別がある。
しかも世界で三番目の人口を持つだけに、大都市と呼ばれる都市は多いはずだ。
だから必ずしも、すべてのアメリカ人が自主的、能動的にキャリアをつかみ取っているとは限らない。

※2000年の調査によると、人口500万人を超えるアメリカの大都市エリアは、9エリア。もちろん、筆頭はニュージャージ北部からロングアイランドまでを含

めた広域ニューヨークエリア。約2,100万人が生活しています。日本の首都圏と比べると、世界のヘソとも言うべきニューヨークは意外にこじんまりしていま

すが、マンハッタンの集積度はやはり特別です。次いで、リバーサイドとオレンジ-カウンティーを含めた広域ロスアンジェルス-エリアで1,600万人以上。

以下、シカゴ、ワシントン、サンフランシスコ、フィラデルフィア、ボストン、デトロイト、ダラスの順で続きます。しかし、この9都市をあわせてもわずか人口の

30%程度をカバーするだけ。日本に較べてアメリカの人口は各地に分散している様子が伺えます。

日本の場合、
東京圏(3,500万人)
京阪神圏(1,600万人)
名古屋圏(400万人)
札幌圏(200万人)
福岡圏の(200万人)の
5大都市圏だけで5,900万人です。
他に仙台・静岡・浜松・岡山・広島・北九州・那覇
100万人都市圏がありますので、「大都市人口」は50%を超えています。

『捨てられたホワイトカラー』は、最近増加するホワイトカラーの失業をテーマに、40歳代の女性ルポライターが、活動期間10か月、5000ドルの準備をして

、実際に再就職活動を体験し、その内容と感想を紹介したものだ。

これを読むと、当然だが、アメリカ人といえども自分から望んで積極的に転職を繰り返しているのではないことがよくわかる。
表題にあるように、ホワイトカラーといえどもそれは同じだ。
当たり前だが、一つの企業に長く務め、安定した生活を送ることを望む人々の方が多いのはどこでも同じだろう。
積極的にキャリアアップを図るために、チャンスを求め積極的に転職を図る人が多いなかで、不本意なまま突然、解雇を通達されるケースが確実に増え

ている現状がある。

つい先日就職を決めたクライエントから聞いた話だが、兄が外資系企業をもう何社も移っているという話を聞いた。話によると、新卒で入社したのが外資

系で、たまたま早い時期に本国アメリカに異動になり、人事を経験したということだ。当然語学力にも磨きをかけたのだろうが、帰国後、すぐにヘッドハン

ティングが接触してきて、転職を系絵kんしたが、それ以来、ハンティング会社のスタッフが専属のエージェントのようになっていて、しかるべき時期に新し

い転職口を紹介してくるそうだ。当然、転職ごとに待遇もポジションもアップするだろうから、恐らく40歳代と思われるこの方は相当な高待遇を手にしてい

るに違いない。その兄弟から、早期退職をしながら際立ったキャリアもなく、今後の方針を決めかねているクライエントは『おまえも、典型的な日本型のサ

ラリーマンだな』となじられたそうだ。

このような話を聞いたばかりだったから、友人から勧められたこの本を読んでみようと思った。

アメリカの公的インフラと就職専門のビジネスインフラ


アメリカにはインターネットなどを使用して就職支援サービスをするハローワークが整備されている。
http://www2.mhlw.go.jp/tokusetu/kanmin/001101/index.htm

ここでは日本のハローワークと違っていて、適性判断などのアセスメントも受けることができ、希望条件などを入力していくと適正な職業が選択できるよう

になっている。
初めから企業が申請する求人票をそのまま公開し、仕事の内容も自分の適正との相性を検討することもなしに検索していく日本のハローワークとは思想

からして違うようだ。
最近では日本でも若者向けにジョブカフェという名称で、ワンストップサービスが適用されるような機関が数か所設置されてきたので、改善はされている。
しかし、これは若者に限定されている。もう一方の大きな課題になっている中高年のむけのさーびすはまだまだだ。
日本の教育制度は、どちらかというと進学試験に集約されていて、受験に成功する教育がベストと思われているきらいがある。それがまったく間違ってい

るとは言えないが、大学教育が社会活動をするための準備機関だと考えると、キャリアやファイナンスや職業に対する教育じはかなり薄弱といってもいい


『金持ち父さん貧乏父さん』のような本がビジネスマンの間でベストセラーになる社会というのは、それ表しているのではないか?

さて、公的なインフラが思想的にも異なっているとすると、ビジネスとしての就職支援サービスはどうなっているか?
これは、容易に想像がつく。日本ではあまりお目にかからない様なサービスが既に確立されているようだ。さまざまな新しいサービスが職業として確立され

ている社会。これは我々が求めるべきソフト社会の一つの特徴といってもいい。

まずキャリアコーチという、個人に対して就職支援活動を支援するサービスがある。コーチリンクというサイトを検索して、自分に合いそうなコーチを探すら

しい。あるいはそのサイトにエントリーすると売り込みのメールが来るのだと思う。
http://www.coach-link.co.uk/

これが週30分のコーチで月400ドルというからいいビジネスだ。
ここでは応募書類の作成支援、エニグラムなどのアセスメント、それとネットワーキングの紹介などをしてくれる。

しかしこのキャリアコーチングは公的な資格ではなく、民間機関でキャリアアカデミーの15週間の講習を受講するのが標準的なようだが、まったくの自己

流で受講者を募集しているケースも多いようだ。キャリアコーチングは、筆者も言っているが多分に宗教的な要素を含んでいるか、あるいは宗教そのもの

であることも多い。キャリアコーチも金儲けの手段として、あるいはそれを何らかの、宗教や教会への囲い込みのような目的の手段として位置付けているよ

うだ。

そしてネットワーキング。
これは色々な種類があるようだが、簡単に言うと失業者のための勉強会とでもいうものだ。
ボランティアやNPO主催になっているが、実態は、ブートキャンプと呼ばれるトレーングへの勧誘が目的のものが多いようだ。3週間で600ドルの例が出て

いた。
そのほか協力と思えるのが協会主催のネットワーキングだ。
これは社会的に大きな影響力を持っているキリスト教社会だからだと思われる。無宗教社会である日本では考えにくいが、もしあったとしてもやはりキリス

ト教会がやる様な気がする。パブリックを意識した宗教というのはキリスト教が一番強いような気がするからだが、そうなったとしたらアメリカよりさらに宗教

色が強くなりそうで、そうなったら大きくは広がらないだろう。日本でこうしたネットワークング主催するようなところがあるとしたら、まず企業。そして政府が

かなり遅れてやりはじめるのだろう。企業の場合ではベンチャーが着手し、その成果を見て大企業が参入するか、あるいは大企業の社内ベンチャーが先

手を打つような気がする。

以上の二つが、個人が就職活動をする上で身近に利用できるサービスのようだ。
このうちキャリアコーチは、個人でそれをやっているケースが多く、コーチのスキルによってサービスの内容にはばらつきがある。実際、彼ら自身がホワイ

トカラーではなかったり、コーチというプロフェッショナルなスキルを備えていないこともあるようだ(しばしば筆者がコーチの対応に憤っていることがでてく

る)
となるとネットワーキングの方が可能性はありそうだが、明らかに就職実現よりも、そこに至るブートキャンプの勧誘やもしかしたら就職実現以外の目的を

持った集まりを作るのが目的だ足りするとこれは論外だが、同じ目的を持ったメンバーが、情報を交換し、考え、お互いにいい刺激となるような集まりであ

ればこれは、有効と思える。課題はそれを実施する場所と、就職活動に必要な確かな知識を提供してくれる機関、これは企業でも個人でもいいのだが、

が用意できるかどうかだ。
ハローワークのようなことろで場所や情報を提供できるのがふさわしいような気がするのだが、どうだろう。あるいは人材サービス会社、やその協会という

のも可能性がありそうだ。

キャリアカウンセラーという資格が、今度国家資格になるようだが、こうした有資格者の協力もえられればなおいい。こうした資格は、高齢者に人気があり、

多くの高齢者は待遇よりも社会貢献への意欲が高い人が多分に含まれているからだ。

●それでも再就職は難しい
この『捨てられたホワイトカラー』というプロジェクトは、結果的に就職を就職を獲得することは出来なかった。
筆者が就職経験がないことも、エネルギッシュに活動しながらも再就職活動の経験がなかったことも、あるいは知識・スキルが豊富なだけに、キャリアコー

チが思うように素直に?従わなかった部分があったこともその原因かもしれない。
 しかし、実際に中高年の再就職は難しい。アメリカではマネジャー経験者がスターバックスの店頭で働いているようなケースもあると書いてあるのだが、

日本ではまだそこまでのケースは少ないかもしれない。日本ではもう少し企業の求人ニーズは高いのではないか?
そうでなくても、本当にそこまでの覚悟と行動がとれれば、もう少し何とかなるような気もする。最も収入に関する最低条件は個人の事情によって異なるか

ら一概には言えないのだが。
現状では中高年のスムーズな再就職を阻害しているのは、環境の理解の不足なのかもしれない。
自分のキャリアや労働の意志を確かに持っているか?再就職はある面で新たなスタートだから、若年の上司に仕えたり、新しいことを貪欲に覚えたり、今

までの仕事に対する姿勢をリセットしたりすることが不可欠になる。こうした基本ができるか、あるいは潔しとするか、が重要なのだ。
確かにプライドや自分の力量に対する幻想といったものもあるだろうが、現実はそれがなかなかできないのだ。それはたとえば管理職という役割を長期に

こなすことによって、それに適合するスキルやフレームを形成してきたことそのものが、それを妨げるからだ。ポジションへの適合が、新たなステージでの

スタートに必要なスキルと矛盾すると言ってもいいかもしれない。

この項は、次回も続けてみる。