キャリアの先取りをするにはどうするか?

キャリアとはそもそもここに至るまでの道のり、轍を指した言葉なので、先取りということは、あくまでも自分で描く計画だったり、イメージだったりするわけだが、それでも確度の違いがある。
自分ひとりの頭の中での想像と、周囲の観察を念入りにしてから類推するのでは、かなりその形は異なるだろう。
そうした周囲の出来事の中で、自分と年代や性格や価値観。それに学歴や専攻や学力や友人の数とか、いろいろな要素をピれるとそれもかなり、予想の確率が高まるような気がする。

そう考えると、今のビッグデータの時代。そうした比較的確度の高い予想を材料に、自分の今後を考えるのは無駄ではないし、かなり参考になるはずだ。
それも、タイムリーに自分と同じクラスターに属する人の経験が、タイムリーにお知らせとして届いたら。
それは結構わくわくする明日の予告編のような気がするんじゃないだろうか。

実は先日、大学時代の悪友と居酒屋であった。
その中の一人が、いよいよ退職をする。そのあとは働く予定がない、いわば引退のようなものだから、では記念に会おうということになったのだ。
集まったのは自分を入れて四人。
それぞれ大学も異なるアルバイト仲間だ。
当時、業界ではトップクラスのデパートで、夏と冬の年二回、ほぼ同じ職場で仕事をした仲間だ。
うち二人は一つ上だが、それぞれ浪人をしているので、学年は同じか一つ下。一人は一年下。性格もかなり違うのでかえって気があったのだろう。それに当時はフォークバンドを組んだり、夏は海にいったりと、学生時代の授業以外の時間の多くを共に過ごした仲間だ。
それが3年ほど前に、パーティーに誘われ、夫婦で参加して、再会をした。
そのときはロックンロールのライブだったので、たいした話もせずに別れたので、まあ実質的には30年以上ぶりではないか?
その時に初めてそれぞれがなんと、自分以外の仲間が役員まで上り詰めているのを知った。
業界も企業規模も異なるのだが、これはおどろいた。
たしかに個性的だったり、リーダーシップをとったりするいい仲間だったので、それなりに活躍しているだろうとは思っていたものの、いざ名刺をもらったりすると、それは大きな驚きだった。
ちょっと悔しさとか、恥ずかしさとかを感じなくはなかったが、もう今の年齢を考えれば、それはもう過去に属するような印象もしないではない。
社会人としてのオンタイムは、もうそろそろスイッチが切れかかっている。
だから、どちらかというと、これからの頭にきれや健康で比較するしかないと思っているからだ。

そう思うのは、今の仕事が再就職支援であり、様々な上場企業の社員の自分に近い人たちの支援をしていることに無縁ではないだろう。
自分を中止に考えれば、自分は特別な存在かもしれないが、こうした多くの様々キャリアを積んできた方々と接していると、自分が特別だとは思えなくなる。それぞれ一人一人は特別な存在だから、かえって同じようなものなのだ。

それはそうとして、この30年間という間に、いくつかの接触があったら、我々の人生はどう変わってきたかを思った。
刺激を受けただろうか。なにか参考になるアドバイスをしたりもらえたろうか?
イフはないので、それを考えても無駄かもしれないが、もしあったら、何らかの変化は起きただろう。
そしてその交渉がなかったことを、何かもったいないような気がする。

せっかく出会い同じ時間を過ごし、一時は兄弟のような感情を持った人間が、また出会うのであるなら、ビジネスライフのオンタイムに交渉があった方が楽しいだろうし、刺激を受けたことは間違いないだろう。

そう考えれば、これほど近い仲間ではなくても、同じような世代の人間がどのような岐路を経て今どこにいるのかを考えると、そこで様々な出来事や人と出会い、それぞれ自分なりの自分だけの場所にいることはとても興味がある。
その出会い、出来事は、自分も同じように経験してきたはずだ。でも判断は異なるかもしれない。それが共有できていたとしたら、自分のキャリアは変わっていたかも知れない可能性が高い。

それを考えると、今起きている、同じような自分に似た人間の経験を知りたいと思うし、どのような出来事がからみ、どのような判断をしたか。その結果は時間が経過してどんな影響をその人にもたらしたか。
すごく興味がある。
すごく知りたい。

で、それは決して不可能ではないはずだ。
インプットとアウトプットが、自然に出来さえすれば、それは整理されマイニングされ、同じようなキャリアの人たちと共有できるはずだ。

そんなことを今考えている。