形こそ、感情のもと

悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ。
アドラーはこう言っている。
そう形をしっかりとれば、そのようになる、できるのだ。

内田樹さんも言っているように、母親のように日々の仕事、料理や洗濯ということだけど、をしていると、母親のような気持ちになってくるのだそうだ。

実は僕も家族が怪我をしたり不在だったりした時に、
洗濯(といっても洗濯機に放り込んで干すだけだが)や料理(野菜を切って煮詰めるだけのスープ岳、毎日飲んだ)をし、洗い物をしていると、そうした主婦、家族のために家事に勤しむ主婦のような気分になったものだ。

剣道で言えば残身をしっかりとれるように打ち込め、とよく言われた。
オートバイのコーナリングでも、コーナーを綺麗に回り終えた姿をイメージできると、コーナリングも問題なくスムーズに行くと言われている。

そのように考えると、プロジェクトも恋愛でさえも、うまくいった状態をイメージできれば、いいアプローチができるかもしれないと考えるだろう。
でもそうはうまくいかない。そこに相手の気持ちというものがあるからだ。

しかし、無駄ではないだろう。
まず、プレゼンがうまくいったイメージを持って準備をし、実行すれば、効果的だろうし、自信を持って仕事を進めれば、周囲も安心しててっつだてくれるかの可能性も高まる。
だから、今目の前の問題も、それがうまくいった後のイメージを作るのは重要なことになる。誰も成功させるためにやっているのだから、成功した状態をはっきりさせなければ、行動自体が曖昧になる。

形から入るというのは、成功の癩であり、それにつながる流れの形である。