うなる文章に接する、その効果。

最近、北方謙三の『三国志』を読み進めている。
いま、三巻目が終わったところだ。

曹操との戦いで、英雄・呂布が敗れ、死んだ。
地下鉄で興奮してしまい、思わず文庫本の表紙を握り締めて
しわだらけにしてしまった。


いつものことだが、平行してまったく別のジャンルの文庫を読んでいる。
小泉政権 非情の歳月』(佐野真一)が、その本。
小泉首相を取り巻く3人の人物を取材したもの。

その三人とは飯島秘書官、田中真紀子、そして小泉潤一郎の姉である。
そのそれぞれが普通ではない生い立ちを持っている。
その特異さが、取り巻く小泉政権
不思議な調和ができた理由は、
小泉首相そのものの特異さにある。

これらの事実を、著書の佐野真一は足で取材し、
文字通りうならせる文章で描写している。

司馬遼太郎の文章には、独特の節がある。
テレビ番組『街道を行く』で聞かせる田村高広のナレーションは
司馬遼太郎の文章を声を出して読むと、まったく同じ節になる。
開高 健の文章には奥深い描写表現がある。
言海とう辞書を夜な夜な読んでいた大作家のことばが踊る文章は
読んでいるものの想像力を大きなうねりに乗せてくれる。

佐野真一の文章は
うまいと思う。
その表現は、ノンフィクション作家である佐野自身の心象を
見事に表現している。
ノンフィクションは筆者の気持ち、心の動き、事実がしみこむ心のひだを、
いかに表現するかということが肝である。


うならせる文書を読むと
自分の思考力が高まるような気がする。
それは的確な表現力という以上に
表現することで、自分の気持がより明確になり
かつ気づけなかったことすら画見えてくるからだと思う。


うまく、感じれらる文章を読み、その上で自分で考えよう。