一人一人のバックグラウンド

いろいろな方と面談をしていると、
実にいろいろな経験談にであう。
同じように、いろいろな考え方をする人がいる。

友達になってしまいそうな人。
仕事以外では合いたくない人。
笑顔の裏に、怖さが潜んでいる人。
態度や言葉使いやすばらしくいいのに、
話の内容が空しいくらい薄っぺらな人。

こういう印象を感じる自分も、
何らかの印象を持たれている。
良いのか悪いのかわからないが
何色かをしているはずだ。

みんなの意見は意外に正しい、という本があったけれども
多数の人の判断や印象が、常識的な判断になることは間違いないが、
それは時間の経過や、その集団などによって変化することも忘れてはならないだろう。

だから一人一人の経験、キャリアも
それが培われた時代背景や環境を理解しないと
本当に理解したことにはならない。

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ゆでガエルのたとえ話を知っているだろうか?
熱湯にカエルを入れると、その熱さのあまりすぐに飛び出すが、
少しずつ水の温度を上げていくと、その変化に気づかず、
最後にはゆであがって死んでしまう、というたとえ話だ。

急激な変化は誰でも気づくが
微妙な変化は気が付きにくい。

少しの変化には、順応してしまうから
時間をかけた大きな変化は気づきにくいのだ。
これを過剰適応という。

だからずっと内に閉じこもっていると、その変化がわからないし
本来持っていた感度も狂ってしまっている。

自分は自分に色をつけてそれを信じ、確信している。
時々、人と比べたり、別の会社のひとと比較する機会があれば、
その確信は正しいのか否かに不安を持つ。
これが普通だ。

しかし、過剰適応が過剰な確信になっていると、
それに従わない相手や環境に異議を唱えるようになる。
本人とってはその時は気持ちがいいかもしれないが、
結局は、自分に跳ね返ってきて、
誰からも相手にされなくなるという事態を招きかねない。

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往々にして柔軟性に欠ける人は、
このような傾向が強いようだ。
あるいは、願望が人なみ以上に強いかだ。

それなら、あまり人に関与しないことだ。
お互いにマイナスしか生まない関係は
三者から見ればこっけいだが
関係者にとっては不幸以外のなにものでもない。