逆効果に陥りやすい民主的マネジメント

よく酒場で会社や上司の悪口をいいあっているサラリーマンのグループを見かける。
自分もその仲間のひとりだから、ある意味で共感する。何を言っても聞き入れない上司、あるいは方針を上手く説明できない上司の下にいると、そういうことはよくある。
ドコ吹く風と聞き流せるほど超然としていられるほど達観できているわけでもあきらめているわけでもない。ましてや、あきらかに管理職にそうした努力が見られず、それから逃げているのが丸見えなら、酒の魚にするのも、少しは時間つぶし、気分の発散には役立っていることになる。

このような愚痴や組織・上司への悪口は、どこから来るのだろう。
自分の思っていること、期待していることと、経営の方針が食い違っているのがまずひとつだが、食い違っていても説明が納得できるものであれば、現実的な対応は出来る。むしろ環境の厳しさが理解できたり、苦しいジャッジをせざるを得ない管理職のつらさに同情も出来る。
だから“共感”があれば、それはかなり軽減されるはずだ。

もうひとつ、課題解決の場に、自分が参加していれば、それはさらに軽減されるだろう。
一緒になって検討して知恵を絞っても、これくらいのものしか考えられなかったとなれば、それは自分の責任になるからだ。これは参加しているかどうかだが、参加しているという時間が伴わなくてはならない。満場一致の決定は現実的には難しい。最後には誰かが判断をしなければならない。反対意見は残る。これはしょうがない。
これは形としては民主的なマネジメントだ。

一方で、単純なトップダウンで決定されるのは、意外に諦めがつく。トップにそれまでの実績があれば、その考えてもいなっかた方針にかえって感心するかもしれない。実績が完璧でなくても、考え方や人間性を理解しているトップの判断なら、人柄も含めて“彼らしい考えだなぁ”“また始まったよ。しょうがないな”くらいの気持ちで受け入れてしまうことだって多そうだ。
これは行き過ぎない限り、愛すべき独裁的マネジメントだ。

興奮させる、“みんなの意見を聞いたポーズ”
そう、それは油に火を注ぐ。
皆さんの意見を聞かせてください、と呼びかけながらなんらFBがないとすれば、もうこれはすすめ方もふくめて、不信感につながる。
手順を間違えるということは、単純にすすめ方を誤るのではなく、そのことに関する考え方、メンバーの扱い方を誤っているとうけとめられるからだ。これは似非民主的マネジメントだが、実質はおろかで怠惰なマネジメントとも言える。
意見をきちんと聞かないという以前に、自分できちんと考えていない、まとめていないとこういうことになる。

だからこの場合、結論や方針といったものよりも
決定へのプロセス=関係者との関係づくりのほうがはるかに重要性を持つ。
そう民主的とは手続きなのだ。
だからこのプロセスをつくれない管理職は、まずマネジメントが出来ないということになる。
したがって、効した管理職の下にいるスタッフは
物事のありかを常ウォッチしている必要がある。そうでないと、知らないうちに決定されていたり、消えていたりするからだ。そのことさえ、気付かない管理職も多い。
とくに民主的マネジメントと放任マネジメントを履き違えている組織では効した現象が頻発する。

記録せよ。
追跡せよ。
そして継続せよ。



よく酒場で会社や上司の悪口をいいあっているサラリーマンのグループを見かける。
自分もその仲間のひとりだから、ある意味で共感する。何を言っても聞き入れない上司、あるいは方針を上手く説明できない上司の下にいると、そういうことはよくある。
ドコ吹く風と聞き流せるほど超然としていられるほど達観できているわけでもあきらめているわけでもない。ましてや、あきらかに管理職にそうした努力が見られず、それから逃げているのが丸見えなら、酒の魚にするのも、少しは時間つぶし、気分の発散には役立っていることになる。

このような愚痴や組織・上司への悪口は、どこから来るのだろう。
自分の思っていること、期待していることと、経営の方針が食い違っているのがまずひとつだが、食い違っていても説明が納得できるものであれば、現実的な対応は出来る。むしろ環境の厳しさが理解できたり、苦しいジャッジをせざるを得ない管理職のつらさに同情も出来る。
だから“共感”があれば、それはかなり軽減されるはずだ。

もうひとつ、課題解決の場に、自分が参加していれば、それはさらに軽減されるだろう。
一緒になって検討して知恵を絞っても、これくらいのものしか考えられなかったとなれば、それは自分の責任になるからだ。これは参加しているかどうかだが、参加しているという時間が伴わなくてはならない。満場一致の決定は現実的には難しい。最後には誰かが判断をしなければならない。反対意見は残る。これはしょうがない。
これは形としては民主的なマネジメントだ。

一方で、単純なトップダウンで決定されるのは、意外に諦めがつく。トップにそれまでの実績があれば、その考えてもいなっかた方針にかえって感心するかもしれない。実績が完璧でなくても、考え方や人間性を理解しているトップの判断なら、人柄も含めて“彼らしい考えだなぁ”“また始まったよ。しょうがないな”くらいの気持ちで受け入れてしまうことだって多そうだ。
これは行き過ぎない限り、愛すべき独裁的マネジメントだ。

興奮させる、“みんなの意見を聞いたポーズ”
そう、それは油に火を注ぐ。
皆さんの意見を聞かせてください、と呼びかけながらなんらFBがないとすれば、もうこれはすすめ方もふくめて、不信感につながる。
手順を間違えるということは、単純にすすめ方を誤るのではなく、そのことに関する考え方、メンバーの扱い方を誤っているとうけとめられるからだ。これは似非民主的マネジメントだが、実質はおろかで怠惰なマネジメントとも言える。
意見をきちんと聞かないという以前に、自分できちんと考えていない、まとめていないとこういうことになる。

だからこの場合、結論や方針といったものよりも
決定へのプロセス=関係者との関係づくりのほうがはるかに重要性を持つ。
そう民主的とは手続きなのだ。
だからこのプロセスをつくれない管理職は、まずマネジメントが出来ないということになる。
したがって、効した管理職の下にいるスタッフは
物事のありかを常ウォッチしている必要がある。そうでないと、知らないうちに決定されていたり、消えていたりするからだ。そのことさえ、気付かない管理職も多い。
とくに民主的マネジメントと放任マネジメントを履き違えている組織では効した現象が頻発する。

記録せよ。
追跡せよ。
そして継続せよ。

会社や組織との関係についても考えてみよう
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