マクドナルドの地域別価格制に思うこと

マクドナルドが都心と地方で
ハンバーガーなどの価格を変える実験をはじめた。
都心では人件費、地代などコストが地方よりかかるため
販売価格を上げ、
逆にそれらが安価な地域では販売価格を下げるというものだ。

実際に地方に行くと物価、特に食事の相場が安く、
うれしい思いをすることが多い。
企業の出張制度でも支給されるホテル代は
大都市の方が数千円高いのが普通だ。

だから都市部では高く、地方で安いという価格戦略は理にかなっているように思える。
競合他社も温度差はあるが、おおむね賛同しているというのも頷ける。

一物一価というのは、本来、どこにおいても同じ価格で統一するという考え方。
その上で仕入れ価格の交渉や地代・人件費などのトータルなコスト削減策によって
販売価格を下げ、顧客を呼び込む企業努力がなされてきた。
しかし人件費、地代が安い地方で
同じ商品が安く売られてきたかというと、それはむしろ逆ではないか?
ナショナルブランドなどはむしろ地方の方が高い気がする。
その理由のひとつは販売量の差が大きいからだ。
固定費が高くてもそれ以上に多くの商品が売れれば利益は確保できる。
労働費もパフォーマンスが上がる。
絶対に人員を配置しなくてはならないとしたら、
時間給は上がっても、仕事量=売り上げによって人件費比率は反比例して下がっていく。
それに輸送コストだって地方の方が余計にかかる。

このように考えると地域によって価格を変える根拠が
人件費や地代だけだとしたら、一部分しか観ていないことになる。
むしろ一店ごとの収益構成にこそ、その正確な理由があるはずであり、
都市で安く、地方で高いという戦略も同じような理由で出てきたっておかしくない。

見方を変えると
価格が変わっても同じハンバーガーで、味もボリュームも変わるわけではない。
したがって顧客に提供する価値は変わらない。
変わるとしたら希少価値というところだろうか?

地方で人件費が安いのは、
地域の物価や有効求人倍率が影響していることが考えられるし、
同時に生産性の高さが大きいはずだ。
地方に拠点を置く企業の人件費が全て低いか、というと
かならずしもそうとはいえないだろう。
もちろん全体としてはそうなっているのだが。

最近、ふるさと税なるものが登場していた。
今現在住んでいるところで収めた税を、一部出身地にも振り分けられるというもの。
これは、地方公共団体の財源が少なく、その是正のために考えだされたものだという。
しかしこれも、本当に住民一人当たりに使われるトータルな公共の予算と効果で見たときに
本当に地方の方が少ないのかが、不明だ。
これは理論でもなんでもない。

以前、日本の高度成長が止まったのは
全国に道路網を張り巡らしたり、立派な公共物を配置するといった
いわゆる列島改造論にその原因があるという本を読んだことがある。
極論だが、投資効果が期待できないところに
多くの財源を投入したことが高度成長を止めたのであり、
もし仮にこれらの予算が、投資効果が得られるところ=大都市周辺に効果的に投入されていたら
高度成長は続いていた可能性が高い、という論旨だったように思う。

もちろんこれには過疎地対策や、『先祖代々の土地を手放すのか』といった心情的な
問題も絡んでくるので、慎重に論じなくてはならない問題だ。
しかし、それすらも歴史を振り返れば、商業の成長で江戸、東京に人が集まり
世帯を設けてきた事実をみると、考え方を切り替えなければならない問題だと思えてくる。
産業の変化、生活環境の変化が、自然に人の流れを作ってきたのだとすれば、
改めてそれは検討するに値すると思える。
一日に数台しか利用されない道路が日々朽ちていくニュースを見るたびに無駄を感じ、
そしてそうした行為が、一方で愛すべき日本の自然やふるさとを破壊してきたのではなかったか?
と思う。

美しい風景や自然は、どこでも同じ価値を持っているものではないだろう。
大都市ではそこで住む人々の生活を快適なものにするために
都市のあるべき姿を真剣に考えるべきだし、
自然が残されているところでは
出来るだけ都市の論理を排除し、そこに住む人間の側が
折り合いをつけることも改めて考えてみるのも意味があるだろう。