簡単に名前をつけるな、つけたら責任を持て。

後期高齢者制度』が『長寿医療制度』に名称変更


厚生労働省は75歳以上の高齢者を対象にした後期高齢者医療制度について名称を変更した。
高齢者から『年齢で区別するのは納得できない』『早く死ねといわんばかりだ』という批判に対応したものだが、名称を変えても内容が変わるわけではないので、単に批判が取りざたされている名称だけでも変更して、騒ぎを鎮めたいという意図がみえみえだ。

もちろん名称そのものが重要なのはいうまでもない。
古くは、表日本・裏日本という呼び方があり、なにが表で裏なのかといった議論とともに太平洋側・日本海側という呼びかたに改められている。
話題の高齢者もシルバーから始まり、シニアとかゴールデンエイジ、元気な場合にはアクティブシニアといろいろなネーミングが登場している。要は出生数が多い戦後4.5年にわたる世代が、戦後高度成長期の日本を、経済、文化の両面で牽引してきた世代は、退職後もマーケット的に大きな影響力を持つ。それゆえに、さまざまな名称が当てられているわけだ。
しかし、いろいろな名称が登場しても、少なくとも違和感がないのが『団塊の世代』という名称ではないか?ボリュームの点で、一時代を確かに牽引してきた実績の点で、この『団塊の世代』というのは、言葉の重さ、響きからしてふさわしい。単に大きな塊と言い切ったからこそ、シンプルで、そこにはさまざまなものを包含することを鮮明にしているからだ。

しかしこれを、またシニアとか、アクティブとかいい始めると、小さな意味に押し込んでしまうようだ。アクティブとは何か、シニアとは何か?問いにさまざまな意味が含まれてくるが、それすら『団塊』の一要素に過ぎないからだ。

同様に、この世代向けの情報誌やサイトが次々に発刊されたり登場しているが、どれも物足りなさ、空虚さを感じる。単純にいえばグラビアに同世代の有名人を登場させたり、リゾートマンションの紹介や、陶芸、美術、写真などの趣味、海外旅行といった、ありふれた情報がそのまま『高齢者向け』として出ているだけだ。
しかし、考えてもみろ。この世代は安保条約では国会に突入し、ハイジャックをし、新宿西口で反戦歌を歌った世代でもある。一方でフルブライト留学生として米国で学び、海外で活躍する日本人の第一世代という面も持っている。しかし、一方でドラッグやヒッピーもあればアイビーも着こなした。最近ではリストラを体験し、自殺増大の世代でもある。
この中でお手本になるライフスタイルをあげよ、あるいは理想の生き方とはなにか、といったところで、まずひとつの型にはおさまらないだろう。全体に矛盾と、健全と不良、リッチとプアなどなどが混沌としているのがこの世代だからだ。混沌のなかの少数だが無数にある個性がお互いに影響し、存在を主張しながらうごめいてきたのが、この世代である。

なぜ、この世代に色付けをする必要があるのだろう。この世代が若かった頃は、テーマでくっきりと区切られた情報、街や雑誌やアート、ファッション・・・すべてが細分化され、まだら模様になっていたはずだ。それは商業的にも団塊だから可能だった。母数が多いので細分化しても商売としてなりたったのだ。しかし現在はあまりにも大雑把で、商業的に成立しやすいというわけか、富裕層よりの編集、情報が多い気がする。本当の姿は、プアでありリッチであり、主流であり反主流、サブカルチャーであるというような矛盾を備えているのではないか?

ネットやデジタル化が浸透したことで、情報発信は格段に簡単になった。そなれば本来は、ひとつのスペースに混沌を作り出すやり方がもう少し考えられてもいいのではないか?
画一的で貧困な発想で、団塊をくるもうとするのは、愚であり、無謀だと断言できる。
同じ年齢でも驚くほど体力、知力、発想、行動が異なるのが、現状である。
さてこの世代の塊は、どのように表現されていくだろう。そしてどのように蠢いていくだろう。


長寿医療制度は膨張する医療費を高齢者にも応分に負担にしてもらうというのが狙いで、一人当たりの医療費の多い都道府県に住む高齢者や高所得者に高めの保険料を負担してもらうのがというもの。ただ、民主党などの野党は『財政負担の削減ありきで高齢者の負担が増す』と反発し、制度の撤廃を求めている。