世代継承性を感じていますか?

キャリア支援の仕事をしているのに、この言葉は初めて聞いた。

青年期と老年期の間の成人期に『次世代を確立し導く関心や行動』、次の世代や社会の幸福を考え、必要と思われることを創造して生産し、、またそのせいかをじぶんの手柄としてっ変えこむことなく、他社のために還し、ささげること、というのだそうだ。

これはエリクエリクソンという心理学者がいっていることで、まさしく人格の成長を促す概念なのだ。

たしかに、あるところまで年齢が行くと、すぐにではないが、こういう気持ちになることがある。
自分を売り込むためでなく、組織や若手のために、ある程度犠牲になるとか、教育プログラムを作ったり、マニュアルとまでは行かないけれどもメモを作ったりというのは、多くは無いが経験がある。
確かにこれって、成長というか一皮むけたかなというふうに、思ったことがあるのを思い出した。
多分こうした経験は、管理職になったり、チームリーダーになったときに、おこりやすい。

そしてこれは自分自身が、組織の中でそういうサポートを受けた経験があるかどうか、
あるいは、頼りになる上司や、先輩、そして刺激的で分かり合えるライバルに恵まれたかによっても、時期も、思いの強さも違ってくるだろう。

一般にキャリアの評価でいうと、『管理職の経験および部下の数の多少』と簡単に聞き、理解してしまうようなところがあるが、こうした点も含めて理解することも大切だと思う。
リーダーの捉え方のひとつにサーバント・リーダーというのがある。
リーダーはメンバーや組織に奉仕するというのが、仕事だという考え方。
これが行動だけでなく、マインドまでにかかわるのであれば、世代継承性にもつながるのかもしれない。

もうひとつ思うのは、ある程度年齢がいって、出世や収入や世間体を気にしなくなったときに、自然にこういう気分になる部分もあるのではないかということだ。
欲がなくなるということは、成長を放棄することとも言えるし、影響力の放棄ともいえる。
一方で、そうしたものを拭い去った後に残った、やさしい気持ちというのも近いような気がする。欲を捨てると、力が抜けるから、顔つきも優しくなる(間が抜けるだけかもしれないが)。

もうひとつ忘れないうちに書いておこう。
組織の中のこうした体験は三種類の物語に分類されるという。
『守られた』物語
『救われた』物語
『導かれた』物語
だ。

物語はエピソードに置き換えたほうがいいかもしれない。
自分もその経験を持っている。
就職して一年で転職。
営業を始めてすぐのときの話しだ。

もう数十年も目の話なのに、
いまも明確に覚えているし、思い出すたびに目頭が熱くなる。
あまりその経験を活かせていないかもしれないが、
感動する気持ちは変わっていなのは確かだ。

世代継承性。
意識してできるのか、無意識に出てくるのか。
いずれにしても、その物語を持っている人にとっては
熱いものがある。