“グローバリゼーション”の均一化と多様化って?

“グローバリゼーション”という言葉をよく耳にする。
しかも、無意識に使っているような気がする。

気がする、とは、はなはだ心もとないが、そのくらい軽い意識で使っているということだ。

通信や運輸の発達による貿易の発達、国ごとの産業や為替の差異を活かした産業分布や生産工程のグローバル調整、インターネットなどITの進歩によるリアルタイムの情報の共有化・・・。
これらによって、国際的な連携体制とでもいうのだろうか?

はてなキーワードでは
世界規模化という表現を使っている。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%B0%A5%ED%A1%BC%A5%D0%A5%EA%A5%BC%A1%BC%A5%B7%A5%E7%A5%F3

一方でそれをアメリカナイゼーションとも呼んでいる。
世界主要都市のどこにもスターバックスマクドナルドがあるという、均一の世界規模化。

そんな風に思っていたし、使っていた。

しかしこんなこともあるのだそうだ。

インドや中国、中南米などの人々が世界中の都市に散らばり、そこらじゅうで街や集団を作る。
そこで、交流の場となるのは自国語による新聞やラジオ。
そこでは、世界レベルでの地域の広がりはあるが、自国語による個別の話題が中心になる。
均一化ではない、多様化の世界的な広がり。
それはその場でのコミュニケーションは決して強いとは限らない。
文明の衝突ではないが、そこかしこでコンフリクトが起こりうる。

見る角度によって、あばたもえくぼのように、まったく反対の意味になるもんだ。
“フラット化する世界”を読んでいてそうおもった。