決定はそれがなされた時点では正しいかどうか分からない。

『影響力のマネジメント』ジェフリー・フェファー のメモから。


決定するための期間より、決とともに生活する時間ののほうがはるかに長い。
そう、一度決定されたら、それを覆すことのほうがはるかに難しいし、
その決定が間違えていても、それに縛られる時間のほうがはるかに長い。

その決定が、実効性の少ないものであれば、鳴り物入りで導入された、たとえば制度でも忘れ去れば済む。
その無害な例をあげよう。
教育支援制度というのはよくある制度だが、それを利用している社員は当初の目標あるいは予想より、はるかに少なかったりする。
この制度は、社員の知識や技術を向上させ、それによって組織力、サービス、技術などを強化させることが目的だ。だから、利用者が少なければ、その目的は達成されていないことになる。

しかし、そのことはあまり問題にならないことが多い。
なぜなら、このような制度は、組織の施策としては珍しく目標を設定しないことが多いからだ。
何らかの真剣な目的があれば、目標を設定する。それに伴い予算も計上しておく必要がる。
目標がなければ、予算の立てようがない。意思を明確にして目標を設定して予算をたてるのか、それともあまった?予算から逆算して、利用者数を決めつけるのか?
このあたりは害がないために、誰も議論をしないことが多い。
そしてそれ以前に、このような制度を導入する必要性、そして成果というものが、どの程度真剣に検討されているかを考えたことがるだろうか?


ここからわかることは、目的は正しく、従業員の賛同を得やすいのだが、
目標設定をしないか、あるいは目標を立てたとしてもそれを達成するための方法か、運営方法かのど
ちらかが適切でないということを示している。
もちろんこのような制度があること自体は、社外的なイメージアップにはなるだろうから、その点は成果をあげているともいえなくはないのだが。

さて、こうした利用者が少ない制度は、機能していないことで、本来の計画からは失敗している。そして利用者が少ないことを容認、あるいは傍観していることで、導入責任者(経営幹部や管理職)は怠慢、逃避を決め込んでいることに目を向ける必要がある。

成果に結びつかない制度は、あること自体が無駄だ。
成果に結び付けようとしないリーダーは怠慢であり、それを放置する組織は、目標達成欲が少なく、無駄を放置する組織である。

さてここからが本題なのだが、
こういったケースでの問題はどこにあるのだろう。

・そもそもこのタイミングで、このような制度を導入する必要があるのか、という時期の問題。社員にそのような時間的な余裕があるのか、必要性があるのか。今はもっと先にやるべきことがあるのではないか?これは新たな事業を推進するために必要な制度なのか?ということだ。

・その内容の問題。教育支援制度を例にとると、この制度が適用されるテーマは資格取得に結びつくものが多かったりする。しかし現状では資格制度イコール実務ではなく、本当に役にたつのかという点で疑問が沸く。また資格取得に限定しなくても、経営側が考える学習テーマは、従業員の思考と一致しないことが多い。それは単にテーマということではなく、年齢やキャリアに応じたテーマになっているか?現実的か?ということである。若手の営業マン、高齢の事務職のどのくらいが中小企業診断士社会保険労務士資格に挑戦しようと思うだろう。もちろん、意欲的な社員は存在する。しかしそういう人はこのような制度がなくても実行している。
立ち返って、教育支援制度はそういう意欲的な人々に対するものだと割り切っているなら、利用率は100%になるかもしれないないが、それでは全社員向けに広報するような制度ではなく、特定の優秀で意欲的制度があろうがあるまいが、管理職が判断すればいいわけだし、管理職がそのような判断や行動が取れない組織は、また違った問題がある。

・運営のチェックの問題。導入した管理職が、この制度を導入したことを忘れてしまっている場合である。結構これが多いのではないか?誰も申請しないから、というのは忘れてしまってもいい理由ではなく、問題として取り組むものである。
さてこのような状況でも、このような制度ならあろうが無かろうが、害はない。みんなが忘れてしまって、困らないのだから、無害の害と言える。

しかし、害=マイナスになる決定もある。
昨今でいえば、かなりの企業が導入した実力評価制度がそれだ。

これは、すでにほとんどの企業で大幅に改善?され、形を変えている。あまりにも現状に合わなかったからだ。
しかし、一度導入したものを毎年のように変えるのは、その必要性はわかるが、それを適用される本人たちはたまったものではない。しかも公平な運用そのものが難しいことがわかった。
だから、数値化できる、あるいは誰でも公平に判断できる評価軸に限って評価するようになってきているのだ。
となると、数値化できるもの、評価しやすいもの以外は、評価せず、あるいは期待もしないということになる。そこに実は、経営の質が問われる。

組織は人の集団であり、大筋において、同じ思想、同じ価値観を共有できる集団である。
もちろんこの思想、価値観というものも最初からあるのではなくて、新たな経験などを通して議論し、理解し、共有していく成長の産物だ。だからまず、全員が同じ問題について議論し、共有していくシステム(制度、会議はもちろん、経営幹部の姿勢、思想も含む)ができている必要があることが前提になる。

実際はそれが不足しているケースが多いのではないか?

フラット化した組織では、トップと一線の間に2,3階層位に絞られていることがある。※トヨタあたりでは、いくつかのバイパス、踊り場的な役職を設けている。
このメリットは階層間における理解のギャップが少なくできることだ。だから経営の判断も、中間で十分に理解されて、現場に降りてくることがしやすい。伝言ゲームによる誤解が少なくできるからだ。しかし、これは確実にやらないと、全部がばらばらばらになる。トップの理解に中間管理職が異議・疑問を持ちながら現場に落とすからだ。
先の決定が確実に当初の目標を達成することを前提とするなら、この部分のチェックが不可欠であることはいうまでもない。

このチェック機能、チェック力こそが、組織力といってもいいのかもしれない。