映画『ソーシャルネットワーク』

30日の朝いちばんで、『ソーシャルネットワーク』を観てきた。
ソーシャルネットワークの草分けであり、しかも最近ではエジプトの独裁に反対するエネルギーを結集したシステムとして話題になっているFacebookの誕生にまつわる映画だ。

これをみて、いくつかの点が、とても興味深かった。
ハーバード大学が全米でも一流であり、それにふさわしい施設を持っていること。
・そこで学ぶ学生は当然、それにふさわしいプライド、誇り、もちろん頭脳をもっていること。
・その中にも、従来の考え、これを保守的と読んでもいいだろうが、従来の規範を固守するものや、逆に、個人は自分の才能やアイデアを実現する自由と権利を持っているということを、それこそデフォルト的に持っており、既存の考え方とぶつかりあっているということ。
・しかし学長は、そうしたものを対処から理解し、押さえつけるのではなく、自立したものの集まりである、という考えで大学を運営していこうとしていること。
・学生は、ビジネスを起こすことが、特別なのことではなく、当然の様に考えていること(こうした層が多そうだ。)したがって才能のあるものがどんどん先をいくことや、共感できる人間とは自然に結びついていくし、その逆もあること。
・類は類を呼ぶのか、面白いアイデアについてはそれをきちんと評価できる人間がおり、しかもそれを飛躍的成長させる人脈やノウハウを持っていること。
・麻薬や未成年保護などの規範、法律を平気で破る人間が混じっていること。
・したがってベンチャーを起こすことは、それがまったく新しいものであるほど、そうした人間との関係が複雑で、離反融合が早いこと。

などだ。
もっともっと多いのかもしれないし、逆に、その根は一つか二つくらいに集約されているのもしれない。

起業のは発想という点では、金の流れが、まったく違うことを再確認した。
出資者=スポンサーという、一種のギブ・アンド・テイクというソースだけでなく、投資家というベンチャーを支援するプロが、そのビジネスを精査し、出資し、株の配分を決め、育て、そして自分たちが設けるという仕組みがある、ということだ。
映画では、それがいかにも、従来のやり方が陳腐で、しかも難しいか、ということを象徴的に描いている。

こうしたインフラも発想も日本では薄弱であることは間違いない。それはファンドも学生も、ビジネスマンもという意味だ。

しかしモデルとなっているFacebookの生い立ちが、起業の風土とインフラ(もちろん学生の頭脳も含めて)意外に、学生が面白がるにはどうしたらいいか?
学生はこういうことを欲している、といった発想から生まれていること。女子学生を二人並べて、どっちが好みかを投票するサイト、なんていうシンプルなことから発展していることが面白い。
それでは金は流れないし、儲けはない。
しかし、それを焦ってはだめだ。
思い切り、拡大し、技術、サービスのレベルをあげることによって、誰もが参加したり面白がるようになって初めて金の流れを考えてもいいのだ。それがはっきりした。

新規事業といっても、儲けのシミュレーションを最初からしているようなら、それはだれでも見える答え探しになるのかもしれない。

映画の帰りに、当然のことのように、本を買って帰った。