知らないことがあるから、勉強するのか。

何歳になっても、
どのようなポジションになっても、勉強し続ける。
いまこそこれが不可避的な行動になっていると思う。

それは、技術や社会情勢がめまぐるしく変わっているから、といった一般論からではなく、
むしろ身近な生活や仕事の内容も変わり、いまやっていることがもっといい形でできないか、とか、もっと効果的にならないか、と思うからだ。

成長するためとか、えらくなるためとか、ではなく、
自分がもっと、と思うところにこそ、おそらく勉強をする必要性が、あるのだろう。
だからそう感じることがなければ、おそらく物事を調べたり、考えたりすることはないだろう。

ピーターの法則は、人は無能力になる極限まで出世する、というものだが、
まさしく考えなくなった時に、その法則が成立する。
従って無能力に成るまで、出世するということは、考えなくなったから無能力になるともいえる。

ポジションが変わったら、考えなくてはないけない。
そう考えるのが普通だ。
新しいポジションについたからかんあげるべきなのではなく、
そのポジションについたら、やるべきことを考える。それ以前に、そうあるべきだと思っていたことと、現実のギャップをせいりし、やるべきことを考える。

それができないのであれば、そのポジ村に着く資格はないのかもしれない。
それはいまは早すぎるのか、能力的に無理なのか。
それは本人が決めるものだが、その方法はいくつかあるが、
最も重要なのは、自分が変わるべきだ、そして自分は知らない、自分だけではできない、という認識であり、そのために関連する人に確認することだ。

よくまちがえるのは、自分はそのポジションにふさわしい能力や知識があるからそのポジションについたのではなく、そのポジションのミッションが務まる可能性がある。あるいは、ほか位に比べればかのす映画高い。あるいは、ほかにだれもいない、というくらいの理由だということを認識することだ。

もう一つのヒアリングは、前任者や上司だけから聞くのではなく、関連する人から適正に聴くということだ。上司や前任者がうまくいっているのならともかく、少なくとも自分の考える理想像と異なるのであれば、それはなぜなのかを確認するという姿勢こそが重要だ。
ここに公平性や自分というものを持っていないと、未完成のままのレベルを超えることはなく、自分が後任である必要性すらないことになる。状況維持なら放置と同じであり、おそらくそれは不十分なままの交代だから、しくじることが目に見えている。

周囲の変化は、必ず自分の変化を伴う。
従って必ず勉強する必要を生む。それは不可避だ。

知らないことがある、知らないことが生まれた。
そういう自覚が、行動を生むと思っていた方がいい。