しごとは工夫であり心遣いである

もう二年半くらい経過したろうか?

ある財団に勤めていて、早期退職をされた方がいた。
50歳代前半で、我々の仕事でまず先にやるのがキャリア分析という作業だ。
この段階で、経験されてきた仕事、経験の詳細をエピソードを混じえながらお聞きする。その合間に、評価をしたり、共感したりして、気持ちよく語っていただくのだ。
この段階では、しっかりした評価よりは、どちらかというと評価する、ほめることの方が多い。
気持ちよく経験を語っていただく中で、どのような点に自信をお持ちであり、どこに苦手意識があるかを探るのが、ポイントだからだ。
そうしたやり取りで前職の仕事ぶりを聞くと、実にいろいろな工夫をしている。
特に中小企業経営者の悩みを聞き、対応するという仕事の中で、ご自身の経験や人脈、そして行動をそこに惜しみなく注ぎ、顧客に尽くしてきたことがよくわかる。

その根底にあるのは、心遣いだ。
こうすれば喜んでもらえる。こうしたら、その人のためになる。お役に立てるのではないか?
こうした仕事を継続していくと、しばらくして自然に顧客の確かな信頼を獲得している。
それは、おそらく他の人にはなかなか理解できない。

いままでのやり方、考え方で仕事をして、それがあたりまえであり、絶対に正しいと思っている、あるいはそれに何の不思議も疑問も感じない人にとっては、それは不要なことであり、あるいはオーバーだが反逆であったかもしれない。
さらに言えばその仕事においてなんらかの特権を持っていた人にとっては、その利権を脅かすとんでもない奴と思われていたかもしれない。
何れにしてもその人は、大したことをやってきた方であることは間違いない。

その方は写真撮影が趣味で、プロに師事し、知人のギャラリーでもボランティアのように手伝いをしていた。経営さえ順調ならばそこで働きたいと思っていた。だがそれは難しかった。
結局、一年以上経過して、会議室の営業に職を定めた。

しかしその仕事は機械的な作業が多く、創意工夫の代わりに、会議室を時間通りにセッティングするという肉体労働だけが要求された。しかも風土があまり良くない。人に教えるということがなく、新人でもそれはライバルであり、自分の業績を脅かす、したがって蹴落とす対象でしかなかったようだ。それは大手電鉄系の会社だったのだが、内情はイメージとは大きく異なっていた。

その話をお聞きして1年くらい経過した時に、その方が訪ねて見えた。
いまは大型バスのドライバーをやているとのこと。
K電鉄の関連会社であり、バス会社は歴史も古く、安定している企業のようだ。
もう一つ別のK電鉄系のバス会社があるが、こちらは、以前僕が担当した会員さんが、あまりに風土も人も相入れられないものだったようで、早々に退職されている。それに比べるとここのドライバーはエリートとしての自信と自覚を要求されるとのこと。

ここでその方の才能、マインドが十分に発揮された。
バスのドライバーは急ブレーキと、定時の時間遅れが最もプレッシャーになる。
彼はその遅れこそ、安全のために必要不可欠なものと考え、それを乗客に解説することを選んだ。
開かずの踏切では、通過する電車の数を教え、踏切事故の危険なことを解説した。
節分には、翌日は立春だが、実はまだまだ寒さが続くので、お気をつけくださいと話した後で、自宅までお気をつけてお帰りください、とのメッセージを伝えた。

座席についてもらわないと危険であることを、お願いするのではなく、着席いただきましてありがとうございます、と感謝のコメントにした。

こうした心遣いを言葉にして投げかけた結果、乗客は本当にバスの運転手の仕事が大変なものであることを理解し、感謝し、その言動は周辺で話題になったようだ。女学生は運転席側に近寄り、仕事ぶりを観察するようになった。降りる客は、どうもありがとうと声をかけるようになった。

これらは、先輩ドライバーからも賞賛され、そんないい方、伝え方があることに気づき驚いたとの率直な感想と賞賛を頂いたそうだ。これも素晴らしいことだ。

その方はスターバックスが大好きで、それが私と共通していた。
実際、スターバックスの求人へも応募もされていた。それはおそらく年齢面が理由で、お見送りになっていた。
しかし、そこに彼のマインドが根ざしているように思える。

顧客には感謝。伝えるには言葉。そこには制約はない。
工夫をしていけないことなどない。確かに工夫は、大きなパフォーマンスになる。

どんな仕事でも、それは可能だ。

担当した方から教えられることは実に多いのだが、これもその中の大きなエピソードである。