やりがい、いきがいをイメージしてみよう。

再就職の時に、まず多くの人が考えるのは、確かに同じ業界・同じ職種だと思います。
でできれば同じような給料を確保できることが希望条件。
でもこれでうまくいく人は少ない。
となると、給料が安いものでもいいか、となるがそれは若手が多くてそれもダメ。

そこまで来て焦りはじめると、会社が胡散臭くても、また仕事の内容が曖昧でも、
とにかく就職したい、ということになりがち。
となると、就職決定もギャンブルのようになる。
もちろん入社して仕事をしてみないとわからないことが多いから、ギャンブル性は確実に残るのだけれども、
この確率は絶対に高めておかないと、時間とか信頼とか、自信とか、とにかく失うものが多すぎる。

ここでこだわりたいのが、やりがいということになるのだけれども、
意外にこの、自分のやりがい、というのを整理して理解している人は少ない。

現在、われわれがやっているのは再就職実現を目的にやっているので、
就職しやすくするために、有利になるために、それを行う。
これは再就職という共通目標があるので、そのやり方でいいのだと思う。
しかし、それが希望通りの就職がスムーズに実現しない時に、
また壁にぶつかり、検討を余儀なくされる。

希望通りの条件が満たされないときに、何を基準にするか?
そもそも中高年の再就職は多くの場合、以前に比べ給料は格段に下がる。
もちろん、下がる、というのは前職と比較した場合であって、
生活をする、少なくとも自分の生活レベルを維持するために必要な収入を基準にして再設定しているだろうか?
これは気持ちの上で、なかなか難しいが、生活すべてを変える再就職だから、生活基盤から再構築する気構えで当たらないといけないと思う。

よくクルマは手放しなさい、保険を見直しなさい、ローンを見直しなさいというアドバイスはその意味で正しいような気がする。
酒を飲む場所を変えなさい、量を変えなさい。Yシャツはクリーニングではなく、自分でアイロンがけをしなさい。コーヒーは店でなく自分で淹れなさい。ただし豆にはこだわって。といった工夫や見直しも必要だと思う。

村上春樹の小説にはよく自分でサンドイッチをつくったり、Yシャツのアイロンがけをするシーンが登場するけれども、僕は結構ああいう生活に憧れを持っている。面倒だし、時間がないので(いいわけにすぎないが)、やることはないのだけれども、これも時間に余裕ができると、結構やりだすのかもしれない。
以前、インターネットで帝国ホテルかどこかのアイロンがけの名人のテクニックを見たことがある。なるほど、こうすればいいのか!とちょっと感動したのを覚えている。自分でやるようになると、生活コスト削減のために、ノーアイロン、形状安定の薄っぺらでなんとも味気ない生地のYシャツを選択し、毎日それを着て生活をしなくてもよくなる。コットン100%のシャツに勝るものはないと僕は確信しているので、これはハッピーかもしれない。アイロンがげの名人になれば、質素で(すばらしい)自分らしい生活の達人になるかもしれない。
休みの朝、宵っ張りの家人が遅寝をしている間に家をでて、駅前のスタバでぼんやりしていると、強くそう感じる。

さて、一方でこうした思いがあるが就職に関して、特に収入ダウンに対して強いプレッシャーを感じているのは、多分に家人、特に妻の要求が影響しているように思う。特に就業経験がない、あるいは苦労をしたことがないといった条件が揃うと、現在の生活の手法、レベル、楽しいムダづかい、リッチな気分を味わうための様々なトライアル(買い物とか、音楽とか、食事とか・・・)を失う生活は想像できないのかもしれない。いまを維持できないという不安は、変化の先にあるマイナスのイメージは想像できても、プラスのよりハッピーな広がりのある生活を描く想像力は、単に楽観的な性格とかポジティブシンキングとかといったトレーニングでえられるものとは異なる次元のものなのかもしれない。じゃあ、“いま”を満足しているのか、というとそうでもない。いまを失う不安は、いまの延長線上にある、“もっと”にあるんじゃないか?それはもっと素晴らしい食事をあじわいたいというより、新しくできた話題のレストランで食事をしたい、というニーズではなくウォンツかもしれない。ともに選択肢は無数にある。新しい店は次々に出てくるし、飽きられないようにさまざまな新しいメニューを開発する。そして飽きられたり、人気を呼べずに早々に退場していく。だとしたら同じように料理の可能性は大きい。もっとある。日々の工夫や、季節の移り変わり、そしてその時々の気分で、様々な工夫やチャレンジが可能だ。
そう考えると、一律的な生活イメージの基準が、選択肢を狭くし、想像力とか、自分のささやかでも自分だけの自分らしい可能性を見失わさせているのかもしれない。
もっと自分らしい生活を具体的に描き、そのためにどういう工夫をし、そのために必要な条件はなにかを整理する。そのために失うものを考えるより、得られるものを想像したりそれを広げたりするのは、かなり楽しいことなんじゃないか?

質素でシンプルな生活。
こうした本は、ちょっと地味であることが多い。
多分それは本当に地味なんだと思う。だからワクワク感がしない。
清潔で洗練され、必要なテクノロジーを取り入れ、生活を送る。素晴らしいデザインや芸術に触れる(ホンモノを所有することはムリだが)生活。
これを実現する、あるいはより近い生活をするのに必要なコストはどのくらいなんだろう。
そしてそのために、やらなくてはならないことはなんだろう。

そのトレードオフのここちよいバランスを、もう少し考えてみたい。