なんのための仕事? そのためには

なんのための仕事?

これは西村佳晢さんの著書の名前でもある。
これを読んで、改めて再認識したことがある。

西村さんはデザイナーなので、デザインはなんのためにあるのか?といったアプローチをしている。
生活、ひいては社会に便宜性や豊かさを提供するために、といった考え方をしていくと、今のデザイナーの仕事は、かなり制約がある。限界といっていいのかもしれない、といっている。

僕はキャリアカウンセラーを、ここ10数年やってきたので、これに当てはめてみると、すごくよくわかる。
とくに担当してきたのが再就職支援、いわゆるOPとよばれるもので、企業の事業再構築に伴う雇用調整を支援するサービスだ。企業の事業計画に伴う早期退職希望者の、再就職支援サービスなので、簡単いいえば再就職支援だ。年齢は主に40歳代半ば以降の方々が中心になる。
この年齢は、多くがお子さんの教育費や住宅ローンを抱えており、人生の中でも最もお金がかかる世代である。もう少し上の50最大半ばくらいになると、それに親や家族の介護などが重なってくることが多い。
したがって、収入確保が最重要課題になる。
ただ、企業の給与は、年功序列や生活給の色彩が強いために、転職をして新しい職場、さらに新しい仕事を担当することになると大幅に低下する。これがほとんど宿命的になってくる。もちろん、ここの方のスキルキャリアが、その時点での社会的価値が高ければ、待遇が同等のものが用意されたり、従来以上に上がったりすることだってある。ただ、これは本人の自覚や期待とかけ離れた時に、かなり厳しい現実になる。

こうした方々の支援をする再就職支援サービスのビジネスモデルは、企業との契約に限定しているため、それだけのコストを負担できる大企業を対象にしている。
大企業の中高年層。そして新たな事業計画の推進のために退職を思いとどまっても、従来の仕事を続けるのが難しい状況にあることが多い。止まっても評価は従来よりは厳しくなり、それは賞与や退職金に影響してくる。

こうした重い状況にある方々を支援するのは、単位再就職を支援するという簡単なものではなくなってくる。たとえば色々なケースが混在するために、たとえば、収入も減り、役職も厳しく、慣れない仕事を選ばなくてはならない時に、なんのためにどのように働くのか?どこまで自分を犠牲にするのか、あるいは家族にどこまで協力してもらうのが適正なのか?といった、様々な問題がここの状況に合わせて出没する。

そう考えるとキャリア支援というものが担当する幅はどんどん広がり、かつ専門性を増す。
したがってこれは専門スタッフが必要になるし、個別の限られた時間での面談だけでは用がたりなくなってくる。

そこで冒頭の本のなかでは、調理師学校をでた若い女性の実践的なスキルが紹介されている。
美大ではデザインの理論や作品を学んだり、一部でデザインは社会のどのような部分で効果をあげることができるのか、といったレイヤーで学ぶ。
しかしこの女の子は、調理はもちろんのこと、発注から在庫管理から、フロアでの来客対応、古びた鍋をピカピカにする方法まで習い訓練し、社会に出てきている。
これは調理師学校が、卒業後、レストランやケータリング、弁当屋、といった様々な進路を選ぶ可能性を想定してカリキュラムが組まれ、実践されているからだ。それと比べて美大はどうか?といった問いかけになっている。

なんのための仕事?

これは西村佳晢さんの著書の名前でもある。
これを読んで、改めて再認識したことがある。

西村さんはデザイナーなので、デザインはなんのためにあるのか?といったアプローチをしている。
生活、ひいては社会に便宜性や豊かさを提供するために、といった考え方をしていくと、今のデザイナーの仕事は、かなり制約がある。限界といっていいのかもしれない、といっている。

僕はキャリアカウンセラーを、ここ10数年やってきたので、これに当てはめてみると、すごくよくわかる。
とくに担当してきたのが再就職支援、いわゆるOPとよばれるもので、企業の事業再構築に伴う雇用調整を支援するサービスだ。企業の事業計画に伴う早期退職希望者の、再就職支援サービスなので、簡単いいえば再就職支援だ。年齢は主に40歳代半ば以降の方々が中心になる。
この年齢は、多くがお子さんの教育費や住宅ローンを抱えており、人生の中でも最もお金がかかる世代である。もう少し上の50最大半ばくらいになると、それに親や家族の介護などが重なってくることが多い。
したがって、収入確保が最重要課題になる。
ただ、企業の給与は、年功序列や生活給の色彩が強いために、転職をして新しい職場、さらに新しい仕事を担当することになると大幅に低下する。これがほとんど宿命的になってくる。もちろん、ここの方のスキルキャリアが、その時点での社会的価値が高ければ、待遇が同等のものが用意されたり、従来以上に上がったりすることだってある。ただ、これは本人の自覚や期待とかけ離れた時に、かなり厳しい現実になる。

こうした方々の支援をする再就職支援サービスのビジネスモデルは、企業との契約に限定しているため、それだけのコストを負担できる大企業を対象にしている。
大企業の中高年層。そして新たな事業計画の推進のために退職を思いとどまっても、従来の仕事を続けるのが難しい状況にあることが多い。止まっても評価は従来よりは厳しくなり、それは賞与や退職金に影響してくる。

こうした重い状況にある方々を支援するのは、単位再就職を支援するという簡単なものではなくなってくる。たとえば色々なケースが混在するために、たとえば、収入も減り、役職も厳しく、慣れない仕事を選ばなくてはならない時に、なんのためにどのように働くのか?どこまで自分を犠牲にするのか、あるいは家族にどこまで協力してもらうのが適正なのか?といった、様々な問題がここの状況に合わせて出没する。

そう考えるとキャリア支援というものが担当する幅はどんどん広がり、かつ専門性を増す。
したがってこれは専門スタッフが必要になるし、個別の限られた時間での面談だけでは用がたりなくなってくる。

そこで冒頭の本のなかでは、調理師学校をでた若い女性の実践的なスキルが紹介されている。
美大ではデザインの理論や作品を学んだり、一部でデザインは社会のどのような部分で効果をあげることができるのか、といったレイヤーで学ぶ。
しかしこの女の子は、調理はもちろんのこと、発注から在庫管理から、フロアでの来客対応、古びた鍋をピカピカにする方法まで習い訓練し、社会に出てきている。
これは調理師学校が、卒業後、レストランやケータリング、弁当屋、といった様々な進路を選ぶ可能性を想定してカリキュラムが組まれ、実践されているからだ。それと比べて美大はどうか?といった問いかけになっている。

なんのための仕事?

これは西村佳晢さんの著書の名前でもある。
これを読んで、改めて再認識したことがある。

西村さんはデザイナーなので、デザインはなんのためにあるのか?といったアプローチをしている。
生活、ひいては社会に便宜性や豊かさを提供するために、といった考え方をしていくと、今のデザイナーの仕事は、かなり制約がある。限界といっていいのかもしれない、といっている。

僕はキャリアカウンセラーを、ここ10数年やってきたので、これに当てはめてみると、すごくよくわかる。
とくに担当してきたのが再就職支援、いわゆるOPとよばれるもので、企業の事業再構築に伴う雇用調整を支援するサービスだ。企業の事業計画に伴う早期退職希望者の、再就職支援サービスなので、簡単いいえば再就職支援だ。年齢は主に40歳代半ば以降の方々が中心になる。
この年齢は、多くがお子さんの教育費や住宅ローンを抱えており、人生の中でも最もお金がかかる世代である。もう少し上の50最大半ばくらいになると、それに親や家族の介護などが重なってくることが多い。
したがって、収入確保が最重要課題になる。
ただ、企業の給与は、年功序列や生活給の色彩が強いために、転職をして新しい職場、さらに新しい仕事を担当することになると大幅に低下する。これがほとんど宿命的になってくる。もちろん、ここの方のスキルキャリアが、その時点での社会的価値が高ければ、待遇が同等のものが用意されたり、従来以上に上がったりすることだってある。ただ、これは本人の自覚や期待とかけ離れた時に、かなり厳しい現実になる。

こうした方々の支援をする再就職支援サービスのビジネスモデルは、企業との契約に限定しているため、それだけのコストを負担できる大企業を対象にしている。
大企業の中高年層。そして新たな事業計画の推進のために退職を思いとどまっても、従来の仕事を続けるのが難しい状況にあることが多い。止まっても評価は従来よりは厳しくなり、それは賞与や退職金に影響してくる。

こうした重い状況にある方々を支援するのは、単位再就職を支援するという簡単なものではなくなってくる。たとえば色々なケースが混在するために、たとえば、収入も減り、役職も厳しく、慣れない仕事を選ばなくてはならない時に、なんのためにどのように働くのか?どこまで自分を犠牲にするのか、あるいは家族にどこまで協力してもらうのが適正なのか?といった、様々な問題がここの状況に合わせて出没する。

そう考えるとキャリア支援というものが担当する幅はどんどん広がり、かつ専門性を増す。
したがってこれは専門スタッフが必要になるし、個別の限られた時間での面談だけでは用がたりなくなってくる。

そこで冒頭の本のなかでは、調理師学校をでた若い女性の実践的なスキルが紹介されている。
美大ではデザインの理論や作品を学んだり、一部でデザインは社会のどのような部分で効果をあげることができるのか、といったレイヤーで学ぶ。
しかしこの女の子は、調理はもちろんのこと、発注から在庫管理から、フロアでの来客対応、古びた鍋をピカピカにする方法まで習い訓練し、社会に出てきている。
これは調理師学校が、卒業後、レストランやケータリング、弁当屋、といった様々な進路を選ぶ可能性を想定してカリキュラムが組まれ、実践されているからだ。それと比べて美大はどうか?といった問いかけになっている。

なんのための仕事?

これは西村佳晢さんの著書の名前でもある。
これを読んで、改めて再認識したことがある。

西村さんはデザイナーなので、デザインはなんのためにあるのか?といったアプローチをしている。
生活、ひいては社会に便宜性や豊かさを提供するために、といった考え方をしていくと、今のデザイナーの仕事は、かなり制約がある。限界といっていいのかもしれない、といっている。

僕はキャリアカウンセラーを、ここ10数年やってきたので、これに当てはめてみると、すごくよくわかる。
とくに担当してきたのが再就職支援、いわゆるOPとよばれるもので、企業の事業再構築に伴う雇用調整を支援するサービスだ。企業の事業計画に伴う早期退職希望者の、再就職支援サービスなので、簡単いいえば再就職支援だ。年齢は主に40歳代半ば以降の方々が中心になる。
この年齢は、多くがお子さんの教育費や住宅ローンを抱えており、人生の中でも最もお金がかかる世代である。もう少し上の50最大半ばくらいになると、それに親や家族の介護などが重なってくることが多い。
したがって、収入確保が最重要課題になる。
ただ、企業の給与は、年功序列や生活給の色彩が強いために、転職をして新しい職場、さらに新しい仕事を担当することになると大幅に低下する。これがほとんど宿命的になってくる。もちろん、ここの方のスキルキャリアが、その時点での社会的価値が高ければ、待遇が同等のものが用意されたり、従来以上に上がったりすることだってある。ただ、これは本人の自覚や期待とかけ離れた時に、かなり厳しい現実になる。

こうした方々の支援をする再就職支援サービスのビジネスモデルは、企業との契約に限定しているため、それだけのコストを負担できる大企業を対象にしている。
大企業の中高年層。そして新たな事業計画の推進のために退職を思いとどまっても、従来の仕事を続けるのが難しい状況にあることが多い。止まっても評価は従来よりは厳しくなり、それは賞与や退職金に影響してくる。

こうした重い状況にある方々を支援するのは、単位再就職を支援するという簡単なものではなくなってくる。たとえば色々なケースが混在するために、たとえば、収入も減り、役職も厳しく、慣れない仕事を選ばなくてはならない時に、なんのためにどのように働くのか?どこまで自分を犠牲にするのか、あるいは家族にどこまで協力してもらうのが適正なのか?といった、様々な問題がここの状況に合わせて出没する。

そう考えるとキャリア支援というものが担当する幅はどんどん広がり、かつ専門性を増す。
したがってこれは専門スタッフが必要になるし、個別の限られた時間での面談だけでは用がたりなくなってくる。

そこで冒頭の本のなかでは、調理師学校をでた若い女性の実践的なスキルが紹介されている。
美大ではデザインの理論や作品を学んだり、一部でデザインは社会のどのような部分で効果をあげることができるのか、といったレイヤーで学ぶ。
しかしこの女の子は、調理はもちろんのこと、発注から在庫管理から、フロアでの来客対応、古びた鍋をピカピカにする方法まで習い訓練し、社会に出てきている。
これは調理師学校が、卒業後、レストランやケータリング、弁当屋、といった様々な進路を選ぶ可能性を想定してカリキュラムが組まれ、実践されているからだ。それと比べて美大はどうか?といった問いかけになっている。とは言ってもアメリカのデザイン学校では同様のカリキュラムで教育がされていることも紹介されている。

さて本題だが、キャリアカウンセラーの資格取得のための勉強は、どうも美大の養育に似ていると思う。色々なケースに遭遇した時にどう考え、対応するか、といったことはもとより、そもそも人はなんおために働くのか、といった根源的な問いかけは、おそらくそれほど真面目に勉強に取り組んでいなかったにしても、なかったように思う。離職率が高い理由は、といった現状からその原因を探るために様々なキャリアカウンセリングの理論が出てきたことは確かに学んだ。そこになぜ働くのか、が触れられていなかったわけではないだろうが、今考えるともっと悩んで考える時間があっても良かったように思う。

そしてキャリアカウンセラーを職業として選択しやたいま、まだまだ足りない部分が多いことに気づく。
たとえばこれを事業として行おうとすれば、いかに効率的に行うか、という問題が付いて回る。
それは本来、というか資格取得のために学んだものとは、レイヤーが全く異なる問題だ。そうした時に我々はどのように折り合いをつけていくのか、そして行動するのか?

これは、ちょっと機会を別にして考えてみたい。

※この原稿は、メモです。てにおはも含め誤字脱字が多々あると思います。