希望学 再読

久ぶりに玄田さんの本を手に取った、
岩波新書だ。
神田の共立講堂だったかで、一度エネルギッシュな講演を聞き、
その時に手に取ったのは確かだったが、しばらく忘れていた。
その言葉自体が、正面からとらえるには綺麗すぎて、歯がゆい感じがしたからだ。

いま、13年続けた仕事を辞めるにあたって、なぜ働くのか、というテーマで仲間と本にでもまとめようと話している時に、この言葉が浮かんだ。
簡単な発達心理学の本を読んだり、インタビュー本を読んだりしているうちに、希望というのも大きな要素だな、と考えたからだ。

まだ途中だが、希望と夢、幸福、安心との違いは何か、という問いが出てくる。
この違いは何か?
就職というテーマに勝手に置き換えると、
仕事を続けられ安定的な生活おおくれることが安心。したがって継続を意味する。
将来こうした仕事に就きたい、あんな生活が送りたいというのが、夢。内面的な楽しい想像といってもいいかもしれない。
現在の状態に大きな不満がない、継続していても苦痛がない。これが幸福という状態かもしれない。

希望とはなにかというと、現状そのままの状態でいることに満足せず、将来に向けて何か変えたい、そういった気持ちを指すようだ。
したがって、そうなりたい、そうしたいという何かがあり、それを望み、行動によって、実現したい、というもので構成されているという。

変化には変わると変えるの結果と行動面があるが、現在の多くは変わるであって、変えるではないという。変える、というのは、日本でも選挙の面ではよく声だかに叫ばれる。
アメリカでもオバマ大統領の、CHNGEは有名だ。同時に彼はHOPEという言葉も頻繁に使用している。

Hope is a Wish for Something to Come true by Action .

であり
社会的な希望とは

Social Hope is a Wish for Something to Come true by Action with Others.
あるいは
Social Hope is a Wish for Something to Come true by Each other .

思い、何か、実現、行動
この4要素のどれかが欠けると、希望は持てないという。
あるいは成り立たない、生まれないともいえると。

就職したい、
そこで自分なりの何か を 
実現したい、
そのために行動する、

逆に行動しながら、考え、何かを鮮明にし、実現する、という順番の方が
現実的なのかもしれない。

やっと第1章を読み終えたので、先に進もう。 

決める打ち合わせ、決まらない打ち合わせ

どうも打ち合わせというのが好きになれない。
といっても必要性を感じていないというわけではなく、
むしろ自分から呼びかけて打ち合わせをすることは多い。
だから打ち合わせの声をかけられて、
受動的に参加する打ち合わせが好きになれないのかもしれない。

打ち合わせは何のためにやるのか?
例えば、何かのセミナーを実施するとする。
そこには必要性を感じての発案がある。
今こういう状態なので、こういう対象に、
こんな成果をあげられるセミナーを実施したい。
で、打ち合わせをしたい。

となると決めるべきは目的でも、対象でもない。

やるべきか、やらざるべきか。
あるいは、やった方がいいか、やらないほうがいいか、
を決めるために、
どうやるか?いつやるか?
誰がやるか?といった各論を検討するものになる。

それには、それらの要素を含む、なんらかのたたき台、仮というよりは
趣旨のサマリーが必要だ。
僕はこれが意思だと思う。

ところが現実的には、なかなかそこまで打ち合わせが届かない。
やるのかやらないのか。
目的はこれでいいのか、対象はこの人たちでいいのか?
こういう基本のところで、時間を費やすことが多いのだ。

やるかどうか?の意思、必然性が強ければ強いほど、
あるいはそれを参加するメンバーが強く共有しているほど、
それは問題にならない。決まっているからだ。

それは発案者の意思であり、イメージだ。
それがなければ、そもそも話し合い始まらない。
それはブレストに近い。だから結論が出なくてもいい。
そして次回まで考えてみようということになる。
そこ中途半端なスタートになるから、無駄な時間や思考を思い巡らすことになる。
直感的にでも、実証的にでも必要ならまずやることを決める。
その上で、趣旨を確認し、案を作る。
その段階ではやろうという思いの強いもの、多くは発案者が
たたき台をつくるのが速い。
そしてかれがブレストを主催する。

話し合うべきは、どうやるか、
だれがやるか、いつやるか、になる。
であれば話し合いのテーが決まっているので、
そのたたき台、具体的な案が用意されているかどうかだ。
その企画案がないまま、打ち合わせに入ると、
話し合うべきテーマが存在しないので、話し合いそのものも、
見えなくなったり食い違ってきたりする。

同じことを何度も繰り返すうちあわせは、
目的が決まっていないために起こるのかもしれない。

そしてそれを確定するのは、まさしく企画案であり構成表である。
これを形にするのは作業であり、企画そのものである。
それがある程度明確になければ、それは進まない。
しかしこれが時間がかかる。
調べる、
ストリーづける。
表現する。
形にする。
そのプロセスで、当然いろいろな問題や変更が出てくる。
その都度、全てに打ち合わせをしていたら、時間が足りないし、実行に追いつかない。
となると、最初に決めた目的と期待すべき成果に大菊食い違わなければ
よしとしなければならない。それを判断するのが実行者だ。
そしてこれは、目的に反する、マイナスになる実行の妨げになる、といった恐れがある灰には、個別でもいいからヒアリングする。
そして形が整った時に最終チェックをする。
最終といっても一回という意味ではない、完成させるための最後の作業ということだ。

それでも完璧にはならない。
なるはずもないのだから致命的なものを消せればそれでいいのだ。

あとは実施してみて、参加者の反応を聞き、次回修正すればいい。
そうやって繰り返してこそ、熟練していくのだと思う。

セミナー施策について。セミナーは有用なのか?あるいはマイナス面はあるのか?

そしてセミナーの効果とは何か?

会員へのサポートは面談が中心になるが、カウンセラーの考え方、スキル、経験は当然、均一ではない。
ということはカウンセラーというフィルターを通してしか、会員は気づきも知識もアドバイスも得られないということになる。
だとすれば、会員の気づきを増強、効果的にスピーディーにするために、異なるアプローチを用意することは、有効だろう。
もう一つ、伝え方のバリエーションの効果も期待できる。
同じ情報でも、それを伝える人、声の大きさやトーンということに加え、一対一で聞くのか、一対多で効くのか、狭い面談ブースかセミナールームか。言葉だけか、スライドで図示するか?といった多様な方法も、会員の受け取り方や届く場所が異なってくるはずである。
これは新着求人解説会で証明済みの事実である。

そうした意味でセミナーに限らず、面談以外のサポートが、会員に有効な影響を与えるのであれば、新たな方法、ツール、手法というのは検討するに値する。

では、効果とは何か?
というと決定率が上がったのか、活動が短縮できたのか?といった声がすぐに届く。まるで魔法の対処方法があるかのような、蓄積、改善ということばがない反応である。
しかし、実際にこうした問いかけを証明するには慎重な検証が必要である。なぜなら、セミナーに参加する会員と、個別の活動、あるいは面談で決まっていく方が多く存在するからだ。
活動に悩みも不安もなく、現在の我々のサービスの方法で、順調にかつ納得のいく手応えを感じている会員は、セミナーには継続的には参加していない方も多い。
そう、セミナーは悩み、不安を持ち、理解をしたい、考えを整理したいといったニーズを持っている会員さんが多く参加していると思われる。かつ毎週、時間的に参加が可能という方といったさまざまな条件が付く。
もちろん、これらを追跡して実証したほうがいいのだろうが、セミナーに参加した会員を担当するカウンセラーの多くの声が効果的であるという感触を持っているのであれば、ひとまずそうした手間をかけるのはやめておきたい。

むしろ、それ以外の効果というのを整理しておきたい。
会員は、求人票を見ただけでは死後tの内容や、企業の風土や特徴、中途入社者の定着率といったことはわからない。これは当然、カウンセラーも多くは説明しているはずだ。しかしバラつきはある。そして、先に述べたように、セミナーの場で説明することの有効性によって、理解が進むということもある。
また、求人情報は毎週の新着求人を原則紹介するものであるから、連続して登場する企業がある。これは当然、疑問が湧く。なぜ毎週のように募集しているのか?という憶測がわく。これも効果だ。
また面談以外に、毎週セミナーに参加するという習慣づけ。
複数会員が活動する企業会員は、ここで情報交換をすることもある。
毎週20-3名くらいの会員が参加するという事実も、一定会員のにzー雨があることも証明できるし、かつ他のオフィスで活動している会員が、元同僚からの口コミで聞きつけて参加したり見学に来た入りするという事実も、その表れだろう。

これらをまとめれば、直接数字には結びつかないながらも、会員さんの不安や意欲に答えているという観点から、弊社サービスの満足度にも多少ながらの効果が出てきているように思える。

会員視点で、満足や納得のいく活動をするサポート。そこには情報提供やアドバイスが全て含まれる。個別面談だけが限定された、有効なやり方ではないということである。

やりがい、いきがいをイメージしてみよう。

再就職の時に、まず多くの人が考えるのは、確かに同じ業界・同じ職種だと思います。
でできれば同じような給料を確保できることが希望条件。
でもこれでうまくいく人は少ない。
となると、給料が安いものでもいいか、となるがそれは若手が多くてそれもダメ。

そこまで来て焦りはじめると、会社が胡散臭くても、また仕事の内容が曖昧でも、
とにかく就職したい、ということになりがち。
となると、就職決定もギャンブルのようになる。
もちろん入社して仕事をしてみないとわからないことが多いから、ギャンブル性は確実に残るのだけれども、
この確率は絶対に高めておかないと、時間とか信頼とか、自信とか、とにかく失うものが多すぎる。

ここでこだわりたいのが、やりがいということになるのだけれども、
意外にこの、自分のやりがい、というのを整理して理解している人は少ない。

現在、われわれがやっているのは再就職実現を目的にやっているので、
就職しやすくするために、有利になるために、それを行う。
これは再就職という共通目標があるので、そのやり方でいいのだと思う。
しかし、それが希望通りの就職がスムーズに実現しない時に、
また壁にぶつかり、検討を余儀なくされる。

希望通りの条件が満たされないときに、何を基準にするか?
そもそも中高年の再就職は多くの場合、以前に比べ給料は格段に下がる。
もちろん、下がる、というのは前職と比較した場合であって、
生活をする、少なくとも自分の生活レベルを維持するために必要な収入を基準にして再設定しているだろうか?
これは気持ちの上で、なかなか難しいが、生活すべてを変える再就職だから、生活基盤から再構築する気構えで当たらないといけないと思う。

よくクルマは手放しなさい、保険を見直しなさい、ローンを見直しなさいというアドバイスはその意味で正しいような気がする。
酒を飲む場所を変えなさい、量を変えなさい。Yシャツはクリーニングではなく、自分でアイロンがけをしなさい。コーヒーは店でなく自分で淹れなさい。ただし豆にはこだわって。といった工夫や見直しも必要だと思う。

村上春樹の小説にはよく自分でサンドイッチをつくったり、Yシャツのアイロンがけをするシーンが登場するけれども、僕は結構ああいう生活に憧れを持っている。面倒だし、時間がないので(いいわけにすぎないが)、やることはないのだけれども、これも時間に余裕ができると、結構やりだすのかもしれない。
以前、インターネットで帝国ホテルかどこかのアイロンがけの名人のテクニックを見たことがある。なるほど、こうすればいいのか!とちょっと感動したのを覚えている。自分でやるようになると、生活コスト削減のために、ノーアイロン、形状安定の薄っぺらでなんとも味気ない生地のYシャツを選択し、毎日それを着て生活をしなくてもよくなる。コットン100%のシャツに勝るものはないと僕は確信しているので、これはハッピーかもしれない。アイロンがげの名人になれば、質素で(すばらしい)自分らしい生活の達人になるかもしれない。
休みの朝、宵っ張りの家人が遅寝をしている間に家をでて、駅前のスタバでぼんやりしていると、強くそう感じる。

さて、一方でこうした思いがあるが就職に関して、特に収入ダウンに対して強いプレッシャーを感じているのは、多分に家人、特に妻の要求が影響しているように思う。特に就業経験がない、あるいは苦労をしたことがないといった条件が揃うと、現在の生活の手法、レベル、楽しいムダづかい、リッチな気分を味わうための様々なトライアル(買い物とか、音楽とか、食事とか・・・)を失う生活は想像できないのかもしれない。いまを維持できないという不安は、変化の先にあるマイナスのイメージは想像できても、プラスのよりハッピーな広がりのある生活を描く想像力は、単に楽観的な性格とかポジティブシンキングとかといったトレーニングでえられるものとは異なる次元のものなのかもしれない。じゃあ、“いま”を満足しているのか、というとそうでもない。いまを失う不安は、いまの延長線上にある、“もっと”にあるんじゃないか?それはもっと素晴らしい食事をあじわいたいというより、新しくできた話題のレストランで食事をしたい、というニーズではなくウォンツかもしれない。ともに選択肢は無数にある。新しい店は次々に出てくるし、飽きられないようにさまざまな新しいメニューを開発する。そして飽きられたり、人気を呼べずに早々に退場していく。だとしたら同じように料理の可能性は大きい。もっとある。日々の工夫や、季節の移り変わり、そしてその時々の気分で、様々な工夫やチャレンジが可能だ。
そう考えると、一律的な生活イメージの基準が、選択肢を狭くし、想像力とか、自分のささやかでも自分だけの自分らしい可能性を見失わさせているのかもしれない。
もっと自分らしい生活を具体的に描き、そのためにどういう工夫をし、そのために必要な条件はなにかを整理する。そのために失うものを考えるより、得られるものを想像したりそれを広げたりするのは、かなり楽しいことなんじゃないか?

質素でシンプルな生活。
こうした本は、ちょっと地味であることが多い。
多分それは本当に地味なんだと思う。だからワクワク感がしない。
清潔で洗練され、必要なテクノロジーを取り入れ、生活を送る。素晴らしいデザインや芸術に触れる(ホンモノを所有することはムリだが)生活。
これを実現する、あるいはより近い生活をするのに必要なコストはどのくらいなんだろう。
そしてそのために、やらなくてはならないことはなんだろう。

そのトレードオフのここちよいバランスを、もう少し考えてみたい。

マネジメントはシミュレーションではなく、イノベーションである

従って、マネジャーは、現場の発想力や実行力を発揮できるような仕組みを作らなければならない。それは時間だったり、会議だったり、プロジェクトだったり、様々な方法が考えれらる。一つでなく組み合わせも考えなくてはならない。よく、収益が思うように上がらないと、簡単に予算や制度を削る会社がある。それはしょうがないのだが、その企業にとって不可欠なもの。すなわち風土や文化を軽視営している金のタマゴとも言えるものまで、削ってしまうことがある。そしてそれはその企業の制度まで揺るがすことがある。
企業は多くの人があつまり、相乗効果を上げ、成長し続けるシステムと文化、従業員の意欲で成長することを考えると、全体で向上していく仕組みのエンジン部品を削除するようなことになる。
とくに個人の成果の集合のような組織。例えば営業部隊だと、課の目標は個人に振り分けられているが、全員が満遍なく目標を達成することは少ない。目標達成が難しいメンバーがいれば、それをバックアップし、カバーするのがマネジャーの役割だ。しかしそれでも不十分だ。マネジャーのサポーtがいくら強力なものであっても、目標達成が難しい都わかった時点。それは、突然予定されていたと力がなくなった。顧客が倒産した、顧客の需要が急降下した、といった場合には、時間的にも案パワー的にも難しいことが多い。
その時にもう一つの頼みの綱は、メンバー間のカバーである。
個人目標は達成できていても、他のメンバーのマイナスをカバーするために、目標数字をオンする。このガンバリは個人のプラス評価の考え方で大きく推進力が異なる。さらに課の目標を達成するというモチベーションがなければ、なかなか期待できるものではない。

こうした状況で力を発揮されるのが、マネジメント思想であり、それを効果的に形にした諸制度だ。

企業は効率化を目指し、マニュアル化標準化を推進する

企業は、多数の従業員を組織化して事業を推進する。
生産とその製品の品質を維持・向上させるために、必要な手順、問題の判断基準、業務に必要なスキルやそれを取得するために必要な教育・訓練手順をマニュアル化し、効率を目指す。
そして、トヨタのように、その手順を詳細に観察し、ボトルネックをさがし、解決策を模索し、実施することを繰り返す。これらの標準化によって新人や季節労働者がラインに入っても、一定の生産性や品質を確保するだけでなく、そこからさらに品質向上や効率化を実現するための課題を発見し、効率を向上させていく。優れた活動は、そうしたサイクルを生む他ためのシステムや風土を持っているわけだ。

前段階はある程度、他の企業でも真似ができるのが、実際にはトヨタ方針を学んでも、現実的には同じレベルの成果が上がらない。この理由が、後段の風土や従業員のマインドだ。
規則や指標をいくらふやしても、能動的に動かない組織は、規則、指標を遵守し、達成するだけにとどまっているからだ。
それだけで、体力を費やし神経をすり減らしている職場には、指標以上のレベルを目指す余力がない。裏返せば、指標と従業員の発想、工夫を生む余裕のバランスが悪いのだ。

マネジメントは数字だけではない。それはわかりきっていることだが、未熟なマネジャーは指標をふやし、添えを達成すれば生産性が上がる、というところで立ちどまってしまう。だから競争には勝てないし、新たな製品やサービスを生み出すことができない。いまやっているやり方、いま作っている製品サービスを、効率よく作るという時点で限界を作っているからだ。

企業が、生産性を上げ続け、良い製品を生み続け、そこで働く従業員の成長を促進し続ける、ということを目指すのであれば、この継続性をまず第一に考えなければならないといわれる、という所以である。

E教授との対話:個人の持つ価値観

エピソード・1

かつて鋳物工業で隆盛をほこった埼玉県川口市
吉永小百合が主演したキューポラのある町という映画で、一時代、若者が働く町として知名度はかなり上がったが、中心産業だった鋳物工業は時代の変遷の中で、海外に活路を求め、衰退の一途をたどっていた。

ある老舗の鋳物専門会社も事業を縮小せざるを得なくなった。
そこには腕のいい、仕事一途な專門工が数名、まだ仕事に勤しんでいた。
この仕事は鉄を溶かし、鋳型に流し込むという作業だから危険性も高い。
何より高熱の中での作業という3Kの代表的な職場である。もちろん当時のことだからクーラーなどはついていないし、扇風機さえ、なかっただろう。
天井から釣り下げた専用のバケツを傾けて、真っ赤にとけた鉄を鋳型に流しこむ作業だから、夏場などはヤカンから水を飲み、塩を舐め舐め、という作業になる。
その作業の熟練工といえば、注意深く、忍耐強く、体力を駆使して、数十年仕事に勤しんで来た職人たちである。
必要なことは目でわかる。経験にものを言わせた段取りのよさで、文字どおり阿吽の呼吸で仕事をしてきただけに、余計な口は利かない。
そして、仕事については鋳物以上に頑固だ。危険と失敗との背中合わせの作業だから、当然そうなる。いい加減に進めることなどできないし、やり直しもきかない。できたとしても仕事のしくじりとともに、なんらかの怪我や心の傷として残ってしまう。

そうした熟練工の働き場がなくなるのだ。
会社としても、今までの働きに感謝して、できるだけの補償をつけ、それぞれに新しい生き方の道筋を探してくれるよう、心を込めて説明した。この仕事に一途に取り組んできた熟練工が相手だけに、それは苦渋の選択であり、おそらく彼らの反発や失望の大きさも、経営側の想像以上のものだろうことは推察できた。熟練工を年数をかけて育てそれで成り立っている仕事の仲間は、家族同然なのだ。

こうした気持ちのこもった説得に、最初はなかなか首を縦に振らなかった職人たちも、いつしか家族や同僚にもなぐさめられ、なだめられ、説得されて、しぶしぶその条件を受けいれていった。もちろんそれは納得ではなく、諦めに近い境地であっただろう。

しかしその中に、一人だけ頑としてその提案を受け入れない職人がいた。
素直でおとなしい人だっただけに、それは意外でもあった。どんなに無理をたのんでも、嫌な顔一つせず黙々と確実に仕事をこなしてきた人で、経営者も静かだが頑なな抵抗をうけて、真面目さの下に潜んでいた芯の強さを改めて見せつけられたかのようだった。
それだけに、さらに時間をかけ丁寧に、ゆっくり説得を続けた。

しばらくして、会社の誠意がこもった話を聞くにつて、その職人も心は動かされていた。周囲の同僚もポツンポツンと職場を離れてきた。人気が少なくなった職場になり、事情も理解してくれたのは確かだった。それでも、はい、という答えはどうしても得られなかった。
本人も、一人だけになり、そのことを苦しんでいるようだった。わかるのだが、はいと言えない事情がどこかにある・・・。

なにが、この人の判断を思いとどまらせているのだろう。
経営者も古い同僚にも聞き、事情を探った。しかし、もう同期の仲間はとうに辞めていたし、独身でもあったので家族はいない。だが、故郷の青森には、母親が健在ということだけが分かったので、『申し訳ないが、会社としては、もう時間があまりない。ふるさとのお母さんとも話をしてもらえないだろうか』とお願いした。
その際に、会社としても今までの働きに感謝をしていることを述べ、今回の事業の縮小のお詫びと、精一杯の条件を認めた手紙を、母親に送ることも了解を取った。もしかしたら、母親の生活を心配しているのかもしれないと思ったからだ。

しばらくして、本人から条件を受け入れるという申し入れがあった。
ほぼ同時に、ふるさとの母親からの感謝の手紙も届いた。
そこには、不器用で真面目だけが取り柄の息子を、長い間お世話いただきありがとうございました、という内容とともに、こうあった。

「30数年前に、集団就職で東京に送り出す時に、辛いことがあっても絶対に逃げずに、歯を食いしばって頑張るんだよ。友達が辞めても、お前は頑張らなくっちゃいけないよ、と送り出したんです。それがこんなに長い間、頑張ってこられた。会社から頂いたお手紙には、本当に力を貸していただいて、助かったこと。感謝していること。そして会社の事情も丁寧に詳しく説明していただいた上に、十分な補償まで用意いただいた。ありがたいことです。息子には電話で、ここまで頑張ったのだし、会社も心を尽くしていただいている。おまえも、これからは、体に負担が少ない、もう少し楽な仕事を選んで、新しい生活を考えなさいと伝えました」。
話は続いた。
「そうしたら、息子が、じゃあもう辞めてもいいんだね』と、ひとこと言ったんです。
私との約束を、ちゃんと守ってくれていたんですね。それ聞いて、よく頑張ったね。もういいんだよ。これからはおまえが好きなように決めなさい、と伝えました」
そして最後に、息子をここまでお預かりいただいてありがとうございます、
と、また感謝の言葉で手紙は締めくくられていた。


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これが、今晩の話のはじまりだった。

「ずいぶん、重い話だね」ちょっと目をしばたかせてエイジ教授が、ため息交じりにつぶやいた。
「トラウマというのとも違って、これはその人の生き方のアンカーになっていたのが、30数年雨の母親の言葉だったんだね」
「そうなんだ。母親の言葉って、身近にいて何度も耳にしているわけだから、意識的にも無意識的にも残っているんだね。この人の場合は、辛いことがあると必ずこの言葉を思い出して耐えてきたんだろう。それが熟練工となっても、この人の生き方のアンカーになっていた・・・。」
ちょと感動していたぼくは、自分の子供のころのことを思い出していた。母親って偉大な影響力を持っている。海や太陽の冠詞が女性であるのももっともだな、と思った。


「最近、母親が小さな子供の世話や教育を放棄しているような出来事が多いけど、様変わりだ。どうしてこうなっちゃったか?事件というだけで片付けたり、聞き流しちゃいけないんだな」
教授がつぶやく、ちょと憂鬱そうだ。
「母親がもっとも子供に大きな影響を及ぼしていることは間違いない。その多くは、こどもの頃、おそらく中学くらい頃まではそうだと思う。そのあと、反抗期など自我の目覚めの時期を経て、また母親とは違った影響者が登場してくる。学校の先生やクラブなど先輩とかだ。これは社会人になってもそうだな。最初の上司や、先輩の影響はとても強いらしい。身近で経験も技術ももち、かつ権力も持っている。そう考えると、自分に影響を与えた人や、その人の言葉、行動っていうのも無視できないね。」教授らしく、客観的に“影響力の可能性”を推測していく。
「たしかに。それに母親の影響力が大きいのだから、母親の育った環境。両親、例えば祖父母や、その時代の空気といったものもかんが得る必要があるんじゃないか」こどもの頃のことを思い出していたぼくは、ベクトルを逆に走らせていた。いまという時代は、こどもの頃とは大きく変わっている。1980年代というバブル期は、モノを溢れさせ、初任給を倍以上に押し上げ、かつ90年代に入って、高々に慢心していた日本経済の鼻をへし折った。90年代半ばに生まれたこどもが、いまは社会人になっている計算だ。
「そうだな。こどもの頃の教育や価値観がその後のその人の生き方を方向づけるに重要な時期だとしたら、なおさら母親だけじゃなく、父親や、その両親や叔父叔母。もしかしたら、その更にもう一つ上の世代まで遡っていく必要があるかもしれない。90年代半ばにこどもを作った世代の親といえば、だいたい60年代から70年代にかけて生まれただろうし、その親となると戦争中か戦前あたりか」教授がまた時間軸を伸ばしていった。大正デモクラシー以降の昭和は、歴史上は大激動の時代と言われている。