いまそこに転がっている危機

6か月間の短期のプロジェクトの仕事をしている。
ITではない。
人口の東京一極集中を是正するという国家戦略中で、
ある地方都市へのUターンを支援するプロジェクトだ。

仕事自体はシンプルで、Uターンを考えている人にkのプロジェクトに登録をしていただき、
仕事情報を提供していく。
メール、電話、時々は東京に企業を招いたり、skypeで2wayの説明会を企画したりして、
わざわざ地元に行ったり、情報を検索したりする手間を省くサービスだ。

選考のやり方も、skypeを使用したり、企業の人事に東京まで来てもらなどの便宜を図っている。

この仕事をして気が付いたのは、やはり東京への企業の集中の威力だ。
もう6,7年前になるだろうか、大手電機メーカーのリストラのサポートで、一年近くその地域で支援サービスをしたことがある。
その時に驚いたのは職種の少なさだった。
求人量は、予想より少し下回ったが、何より職種の種類がすくない。
東京に本社機能や研究機関、シンクタンクなど、ほとんどの中枢機関が集中していることが、よくわかった。

今回はそれに加えて、スピードの違いだ。

求職者の数と求人数・種類の数が多いということは、それだけ競争倍率が高く、かつそれに魅力的な条件の求人には多くの応募者が集まるから、
そのスピードは必然的であり、決定的になる。

情報をみのがす、応募を躊躇する、決断がなかなかつかない。
こうした時間のロスは、チャンスを失うことに通じる。

しかし、このスピードや怖さを知ったものが、以下に大きくても地方の就職活動状況を見ると、驚くほどだ。
のんびりしているというよりは、東京ではスピード(および、量を掛けるのだが)が致命的といっていいほどの
キーファクターになっているのに対し、正確さ、丁寧さ、ルール通り、といったものより、
一段低くく見られているのではないかと思うほどだ。

確かに正確で、丁寧であることは重要だ。
しかし、昨今ではビジネスマナーや服装、言葉遣いといったことは元より、
とがった専門分野やキャリアがあったり、大きなプロジェクトを動かすような、貴重な経験があったリス場合には特に、
PCのアプリケーションスキルとか、安定したマネジメントスタイルとかは度外視する場合もある。

要は、現在のニーズにこたえられるスキルとをれを継続的に発揮できるようなポテンシャルあえあれば
細かなことにはこだわらない。もちrン、書類の誤字はないほうがいいが、それで落ちろとはない。

そうした変化とは無縁のスピードで動いているかのようなのだ。

考えてみれば産業の集積は人を呼び、流動化も大きく激しい。
そこにあるのは荒々しさで、丁寧でゆっくり、というものはない。

量とスピードは比例して加速する。東京のすごさだ。

ひとはなんのために働くのか あるいは 人はなぜ働くのか?

ひとはなんのために働くのか
あるいは
人はなぜ働くのか?

この問いは目的及びえるものが明確にあるか、それとも本能的なものをどの程度含むのかといった。含みにおいて実は大きく違うのではニアkと思った。
ある本では、働くのは食べていくため、というの絶対的な正解を提示されることで、あるいは自分で持ち出すことでそれ以上の思考を止めてしまうのをシニシズムと呼んだ。
 生活していくため、食べていくため、あるいは子どもの教育費確保のため、家のローンのため、というのは先ほどの前者の問いの答えとしては明快で。絶対的でも、他の答えを拒否するものでもない。
 しかし、その答えでも、その続きがあるはずだ。食べるだけでなく、できるだけ、家庭団欒を楽しむ余裕がほしい。あるいは好きな音楽を聞いたり、友達と旅行に行ったりというその次の希望があるはずだ。ただ単に食べるといっても、美味しいものや珍しいもの、いつもの店ではなくたまには流行りの店とか、インテリアのいい店とかそうした自分の趣味や欲求は滲み出てくる。
 また仮に、1日を過ごせるだけの栄養があれば、味は問わない。あるいは満腹感が得られればそれでいいという考えもあるし、人もいるだろう。
しかし、そこには何か別のものがある。食べるだけでなく好きなことをやるために、好きな状態でいるために。それにしても生きていくには食べなければならない。だから食べるためにということでは最低限の要素であるのだが、そのために働くというのは答えのほんの一部分、あるいは最低限の答えでしかない。答えにすらならない、というのが率直な感想だ。
 ある程度の資産があり、食うのに困らない状態にある人でも、基本は働くことが多い。そして趣味や人付き合いや、車や別荘などを買痛くなり、そこで消費する。
 ここまでくると、なんのためにではなく、なぜ働くのか、という問いの方が適切な問いのような気がする。
 そして、働くのは金銭的なものに限らず、心の中の好奇心や欲求や想像力や、その他諸々の何かを産むために、言い換えれば働くことにより人間が人間らしく生き抜くための再生産をするために働くという方が適切なような気がする。

サービス提供価値を考える

サービス提供価値を考えなければ、差別化というより、そもそもの事業価値そのものが問われる。
陥りがちなのは現状からの、将来の類推に終わることだ。
現在がこうだから、おそらくこうしたシミュレーションになる、といった。

こう考えると、そもそもの現状が既存のやり方、考え方であれば、誰が考えても同じ結果になるし、話し合いも同じ結論になる。
だから会議は面白くない。
結果が分かっている前提で話せば結論は誰もが納得でき、想像できる結果しか導くことはできない。

要は何を実現したいのか、そのためには今までのやり方と比較するのではなく、どのようなはやり方が必要なのか、効果的なのかを考えていくことであろう。

そこにリスクがあるが飛躍の可能性が生まれる。それしかない。

WhatとHow。
この2点は常に考えていく必要がある。

なんのための仕事? そのためには

なんのための仕事?

これは西村佳晢さんの著書の名前でもある。
これを読んで、改めて再認識したことがある。

西村さんはデザイナーなので、デザインはなんのためにあるのか?といったアプローチをしている。
生活、ひいては社会に便宜性や豊かさを提供するために、といった考え方をしていくと、今のデザイナーの仕事は、かなり制約がある。限界といっていいのかもしれない、といっている。

僕はキャリアカウンセラーを、ここ10数年やってきたので、これに当てはめてみると、すごくよくわかる。
とくに担当してきたのが再就職支援、いわゆるOPとよばれるもので、企業の事業再構築に伴う雇用調整を支援するサービスだ。企業の事業計画に伴う早期退職希望者の、再就職支援サービスなので、簡単いいえば再就職支援だ。年齢は主に40歳代半ば以降の方々が中心になる。
この年齢は、多くがお子さんの教育費や住宅ローンを抱えており、人生の中でも最もお金がかかる世代である。もう少し上の50最大半ばくらいになると、それに親や家族の介護などが重なってくることが多い。
したがって、収入確保が最重要課題になる。
ただ、企業の給与は、年功序列や生活給の色彩が強いために、転職をして新しい職場、さらに新しい仕事を担当することになると大幅に低下する。これがほとんど宿命的になってくる。もちろん、ここの方のスキルキャリアが、その時点での社会的価値が高ければ、待遇が同等のものが用意されたり、従来以上に上がったりすることだってある。ただ、これは本人の自覚や期待とかけ離れた時に、かなり厳しい現実になる。

こうした方々の支援をする再就職支援サービスのビジネスモデルは、企業との契約に限定しているため、それだけのコストを負担できる大企業を対象にしている。
大企業の中高年層。そして新たな事業計画の推進のために退職を思いとどまっても、従来の仕事を続けるのが難しい状況にあることが多い。止まっても評価は従来よりは厳しくなり、それは賞与や退職金に影響してくる。

こうした重い状況にある方々を支援するのは、単位再就職を支援するという簡単なものではなくなってくる。たとえば色々なケースが混在するために、たとえば、収入も減り、役職も厳しく、慣れない仕事を選ばなくてはならない時に、なんのためにどのように働くのか?どこまで自分を犠牲にするのか、あるいは家族にどこまで協力してもらうのが適正なのか?といった、様々な問題がここの状況に合わせて出没する。

そう考えるとキャリア支援というものが担当する幅はどんどん広がり、かつ専門性を増す。
したがってこれは専門スタッフが必要になるし、個別の限られた時間での面談だけでは用がたりなくなってくる。

そこで冒頭の本のなかでは、調理師学校をでた若い女性の実践的なスキルが紹介されている。
美大ではデザインの理論や作品を学んだり、一部でデザインは社会のどのような部分で効果をあげることができるのか、といったレイヤーで学ぶ。
しかしこの女の子は、調理はもちろんのこと、発注から在庫管理から、フロアでの来客対応、古びた鍋をピカピカにする方法まで習い訓練し、社会に出てきている。
これは調理師学校が、卒業後、レストランやケータリング、弁当屋、といった様々な進路を選ぶ可能性を想定してカリキュラムが組まれ、実践されているからだ。それと比べて美大はどうか?といった問いかけになっている。

なんのための仕事?

これは西村佳晢さんの著書の名前でもある。
これを読んで、改めて再認識したことがある。

西村さんはデザイナーなので、デザインはなんのためにあるのか?といったアプローチをしている。
生活、ひいては社会に便宜性や豊かさを提供するために、といった考え方をしていくと、今のデザイナーの仕事は、かなり制約がある。限界といっていいのかもしれない、といっている。

僕はキャリアカウンセラーを、ここ10数年やってきたので、これに当てはめてみると、すごくよくわかる。
とくに担当してきたのが再就職支援、いわゆるOPとよばれるもので、企業の事業再構築に伴う雇用調整を支援するサービスだ。企業の事業計画に伴う早期退職希望者の、再就職支援サービスなので、簡単いいえば再就職支援だ。年齢は主に40歳代半ば以降の方々が中心になる。
この年齢は、多くがお子さんの教育費や住宅ローンを抱えており、人生の中でも最もお金がかかる世代である。もう少し上の50最大半ばくらいになると、それに親や家族の介護などが重なってくることが多い。
したがって、収入確保が最重要課題になる。
ただ、企業の給与は、年功序列や生活給の色彩が強いために、転職をして新しい職場、さらに新しい仕事を担当することになると大幅に低下する。これがほとんど宿命的になってくる。もちろん、ここの方のスキルキャリアが、その時点での社会的価値が高ければ、待遇が同等のものが用意されたり、従来以上に上がったりすることだってある。ただ、これは本人の自覚や期待とかけ離れた時に、かなり厳しい現実になる。

こうした方々の支援をする再就職支援サービスのビジネスモデルは、企業との契約に限定しているため、それだけのコストを負担できる大企業を対象にしている。
大企業の中高年層。そして新たな事業計画の推進のために退職を思いとどまっても、従来の仕事を続けるのが難しい状況にあることが多い。止まっても評価は従来よりは厳しくなり、それは賞与や退職金に影響してくる。

こうした重い状況にある方々を支援するのは、単位再就職を支援するという簡単なものではなくなってくる。たとえば色々なケースが混在するために、たとえば、収入も減り、役職も厳しく、慣れない仕事を選ばなくてはならない時に、なんのためにどのように働くのか?どこまで自分を犠牲にするのか、あるいは家族にどこまで協力してもらうのが適正なのか?といった、様々な問題がここの状況に合わせて出没する。

そう考えるとキャリア支援というものが担当する幅はどんどん広がり、かつ専門性を増す。
したがってこれは専門スタッフが必要になるし、個別の限られた時間での面談だけでは用がたりなくなってくる。

そこで冒頭の本のなかでは、調理師学校をでた若い女性の実践的なスキルが紹介されている。
美大ではデザインの理論や作品を学んだり、一部でデザインは社会のどのような部分で効果をあげることができるのか、といったレイヤーで学ぶ。
しかしこの女の子は、調理はもちろんのこと、発注から在庫管理から、フロアでの来客対応、古びた鍋をピカピカにする方法まで習い訓練し、社会に出てきている。
これは調理師学校が、卒業後、レストランやケータリング、弁当屋、といった様々な進路を選ぶ可能性を想定してカリキュラムが組まれ、実践されているからだ。それと比べて美大はどうか?といった問いかけになっている。

なんのための仕事?

これは西村佳晢さんの著書の名前でもある。
これを読んで、改めて再認識したことがある。

西村さんはデザイナーなので、デザインはなんのためにあるのか?といったアプローチをしている。
生活、ひいては社会に便宜性や豊かさを提供するために、といった考え方をしていくと、今のデザイナーの仕事は、かなり制約がある。限界といっていいのかもしれない、といっている。

僕はキャリアカウンセラーを、ここ10数年やってきたので、これに当てはめてみると、すごくよくわかる。
とくに担当してきたのが再就職支援、いわゆるOPとよばれるもので、企業の事業再構築に伴う雇用調整を支援するサービスだ。企業の事業計画に伴う早期退職希望者の、再就職支援サービスなので、簡単いいえば再就職支援だ。年齢は主に40歳代半ば以降の方々が中心になる。
この年齢は、多くがお子さんの教育費や住宅ローンを抱えており、人生の中でも最もお金がかかる世代である。もう少し上の50最大半ばくらいになると、それに親や家族の介護などが重なってくることが多い。
したがって、収入確保が最重要課題になる。
ただ、企業の給与は、年功序列や生活給の色彩が強いために、転職をして新しい職場、さらに新しい仕事を担当することになると大幅に低下する。これがほとんど宿命的になってくる。もちろん、ここの方のスキルキャリアが、その時点での社会的価値が高ければ、待遇が同等のものが用意されたり、従来以上に上がったりすることだってある。ただ、これは本人の自覚や期待とかけ離れた時に、かなり厳しい現実になる。

こうした方々の支援をする再就職支援サービスのビジネスモデルは、企業との契約に限定しているため、それだけのコストを負担できる大企業を対象にしている。
大企業の中高年層。そして新たな事業計画の推進のために退職を思いとどまっても、従来の仕事を続けるのが難しい状況にあることが多い。止まっても評価は従来よりは厳しくなり、それは賞与や退職金に影響してくる。

こうした重い状況にある方々を支援するのは、単位再就職を支援するという簡単なものではなくなってくる。たとえば色々なケースが混在するために、たとえば、収入も減り、役職も厳しく、慣れない仕事を選ばなくてはならない時に、なんのためにどのように働くのか?どこまで自分を犠牲にするのか、あるいは家族にどこまで協力してもらうのが適正なのか?といった、様々な問題がここの状況に合わせて出没する。

そう考えるとキャリア支援というものが担当する幅はどんどん広がり、かつ専門性を増す。
したがってこれは専門スタッフが必要になるし、個別の限られた時間での面談だけでは用がたりなくなってくる。

そこで冒頭の本のなかでは、調理師学校をでた若い女性の実践的なスキルが紹介されている。
美大ではデザインの理論や作品を学んだり、一部でデザインは社会のどのような部分で効果をあげることができるのか、といったレイヤーで学ぶ。
しかしこの女の子は、調理はもちろんのこと、発注から在庫管理から、フロアでの来客対応、古びた鍋をピカピカにする方法まで習い訓練し、社会に出てきている。
これは調理師学校が、卒業後、レストランやケータリング、弁当屋、といった様々な進路を選ぶ可能性を想定してカリキュラムが組まれ、実践されているからだ。それと比べて美大はどうか?といった問いかけになっている。

なんのための仕事?

これは西村佳晢さんの著書の名前でもある。
これを読んで、改めて再認識したことがある。

西村さんはデザイナーなので、デザインはなんのためにあるのか?といったアプローチをしている。
生活、ひいては社会に便宜性や豊かさを提供するために、といった考え方をしていくと、今のデザイナーの仕事は、かなり制約がある。限界といっていいのかもしれない、といっている。

僕はキャリアカウンセラーを、ここ10数年やってきたので、これに当てはめてみると、すごくよくわかる。
とくに担当してきたのが再就職支援、いわゆるOPとよばれるもので、企業の事業再構築に伴う雇用調整を支援するサービスだ。企業の事業計画に伴う早期退職希望者の、再就職支援サービスなので、簡単いいえば再就職支援だ。年齢は主に40歳代半ば以降の方々が中心になる。
この年齢は、多くがお子さんの教育費や住宅ローンを抱えており、人生の中でも最もお金がかかる世代である。もう少し上の50最大半ばくらいになると、それに親や家族の介護などが重なってくることが多い。
したがって、収入確保が最重要課題になる。
ただ、企業の給与は、年功序列や生活給の色彩が強いために、転職をして新しい職場、さらに新しい仕事を担当することになると大幅に低下する。これがほとんど宿命的になってくる。もちろん、ここの方のスキルキャリアが、その時点での社会的価値が高ければ、待遇が同等のものが用意されたり、従来以上に上がったりすることだってある。ただ、これは本人の自覚や期待とかけ離れた時に、かなり厳しい現実になる。

こうした方々の支援をする再就職支援サービスのビジネスモデルは、企業との契約に限定しているため、それだけのコストを負担できる大企業を対象にしている。
大企業の中高年層。そして新たな事業計画の推進のために退職を思いとどまっても、従来の仕事を続けるのが難しい状況にあることが多い。止まっても評価は従来よりは厳しくなり、それは賞与や退職金に影響してくる。

こうした重い状況にある方々を支援するのは、単位再就職を支援するという簡単なものではなくなってくる。たとえば色々なケースが混在するために、たとえば、収入も減り、役職も厳しく、慣れない仕事を選ばなくてはならない時に、なんのためにどのように働くのか?どこまで自分を犠牲にするのか、あるいは家族にどこまで協力してもらうのが適正なのか?といった、様々な問題がここの状況に合わせて出没する。

そう考えるとキャリア支援というものが担当する幅はどんどん広がり、かつ専門性を増す。
したがってこれは専門スタッフが必要になるし、個別の限られた時間での面談だけでは用がたりなくなってくる。

そこで冒頭の本のなかでは、調理師学校をでた若い女性の実践的なスキルが紹介されている。
美大ではデザインの理論や作品を学んだり、一部でデザインは社会のどのような部分で効果をあげることができるのか、といったレイヤーで学ぶ。
しかしこの女の子は、調理はもちろんのこと、発注から在庫管理から、フロアでの来客対応、古びた鍋をピカピカにする方法まで習い訓練し、社会に出てきている。
これは調理師学校が、卒業後、レストランやケータリング、弁当屋、といった様々な進路を選ぶ可能性を想定してカリキュラムが組まれ、実践されているからだ。それと比べて美大はどうか?といった問いかけになっている。とは言ってもアメリカのデザイン学校では同様のカリキュラムで教育がされていることも紹介されている。

さて本題だが、キャリアカウンセラーの資格取得のための勉強は、どうも美大の養育に似ていると思う。色々なケースに遭遇した時にどう考え、対応するか、といったことはもとより、そもそも人はなんおために働くのか、といった根源的な問いかけは、おそらくそれほど真面目に勉強に取り組んでいなかったにしても、なかったように思う。離職率が高い理由は、といった現状からその原因を探るために様々なキャリアカウンセリングの理論が出てきたことは確かに学んだ。そこになぜ働くのか、が触れられていなかったわけではないだろうが、今考えるともっと悩んで考える時間があっても良かったように思う。

そしてキャリアカウンセラーを職業として選択しやたいま、まだまだ足りない部分が多いことに気づく。
たとえばこれを事業として行おうとすれば、いかに効率的に行うか、という問題が付いて回る。
それは本来、というか資格取得のために学んだものとは、レイヤーが全く異なる問題だ。そうした時に我々はどのように折り合いをつけていくのか、そして行動するのか?

これは、ちょっと機会を別にして考えてみたい。

※この原稿は、メモです。てにおはも含め誤字脱字が多々あると思います。

若年層の早期離職を防ぐ、コミュニケーション

昨今、若年層の早期離職が増えている。
しかも、条件的にも社会的な評価も高く、条件的にも恵まれている大企業もその例外ではないらしい。

最近の若者は、といった理由は常にあるものだから、そこに原因を求めても答えは出てこない。
なぜだろう?

色々な理由は考えられるだろうが、多くは人間関係に起因しているといえる。
上司との相性、先輩との相性、職場の雰囲気があわない。
どれも、離職する側の受け止め方だから、彼らに合わせて今いる社員の考え方や職場の雰囲気を変えるというのも、一見おかしいように思える。その観点で考えると、先ほどの『最近のわかものは、・・・』ということになる。

しかし、採用手順をしっかりとっていれば、あとは教育をするという受けいれ体制と、一人前にするという訓練面での考え方や準備が不足していることが多い。
それは何も採用に多額の経費がかかっているといた理由だけでなく、企業を存続させるために若年層の補充は不可欠だし、社会環境の変化によっては、既存の社員の集団とは異なるスタッフを迎えられる組織に自らが変化していくことも、同じように分けて通れないものだからだ。
そう考えれば、若年社員を定着させられない組織に課題があり、それを解決できないかぎり、成長はもとより存続すら難しくなるということを、まず正面から受け止める必要があるだろう。

そうした中で、リクルートワークス研究所の、結束型と橋渡し型という二つのコミュニケーションのタイプのレポートを読んだ。
組織、上司、本人の3点における、このコミュニケーションタイプの組み合わせが、若年社員の定着にどう影響しているかを検証したレポートだ。

結束型というのは、内部志向の閉鎖的集団のもつ協調力で、職属するメンバーにメリットをもたらすというタイプ。勝手に解釈すれば、自分のチームや課で固まって行動することにより、学習やトレーニングをするというイメージだろう。
もう一つは、橋渡し型と言われるもので、外部志向で他の集団や人とコミュニケーションをとることで幅広い情報収集や多様性の中でのバランス、効率的な成果をあげようというタイプ。合理的な対応のように思える。

ではこの組み合わせで、定着率が滝のはどれか?

結束型の職場では、上司も本人も結束型、あるいは両方とも橋渡し型というのが辞めにくい。
また橋渡し型の職場では本人が橋渡し型で上司が結束型というのが最も止めにくいという結果が出ているようだ。

逆に、結束型職場では本人が橋渡し型で上司が結束型や
橋渡し型職場で、双方とも橋渡し型という組み合わせが、辞めやすいという結果になっている。

この結果からは
橋渡し型の若年層は、上司も職場も結束型というのは息がつまり、
結束型の若年層は職場がどのタイプであれ結束型の上司のほうが安定しやすそうだ。
あくまでヒントとしての情報だが、こういう観点で接することが必要だとは言えそうだ。

昨今の組織は、個の尊重という意味が色々解釈されているため、若年層に理不尽と感じられそうなことを避ける傾向がある。それが正しいかどうかより、マネジメントに未熟な管理職が、自分の感覚だけでそのまま進めてしまうことの歯止めがかからないことが大きな原因のように思える。上司、人事あるいはそれ以外の立場のスタッフが、若年層を観察し、異常を感じたら早めにチェックを入れたりサポートできることができる組織というのが、必要になっているのではないか?

先が見えた、先が見えない。退職の理由

先が見えてしまったから、・・・。
先が見えないから、・・・


このどちらもが、若年層の退職の理由に挙げられている。
一見矛盾するような言葉だが、根は同じだ。

目標とする先輩や上司がいない。
あんな課長だったらならないほうがマシだ。
結局、うちの会社ではこの程度の発想しかできない。
競合と比べて、このスピードやプロセスの長さでは、とても太刀打ちできない、・・・。
というふうに置き換えると、自分の将来が見えない。あるいは頑張ってもせいぜいあの程度の仕事や権限しか任せてもらえないという、失望感が浮き上がってくる。

先が見えない、というのも同じことだ。
誰がどのように決めているのかわからない方針や、KPIといった達成指標。これって上が現場の足を引っ張っているのと同じことじゃない?

ここで不足しているのはなんだろう。
1.そもそもその企業、あるいは経営陣にビジョンなるものがないというケース。それが、現場を知らない、経験していないという理由でも、現場からたたき上げてきたにもかかわらずビジョンを描けない、という能力不足が理由にしても、方針を打ち出せていない。あるいは組織全体に方向性を示し得ていない、という理由だ。
2.経営はそれなりにビジョン、計画を描いているのだが、中間管理職のところで十分に理解されていないために、具体的な戦略戦術に落とし込めていない。それゆえ、現場が動けない。動かない。これが第二の理由。
そもそも経営陣が決めるのは、方針戦略であって、現実的にどのようにすればそれを達成できるかといった、具体的な行動戦略戦術には落とし込めていないのがふつうだ。そこに現場との経営の媒介・増幅・修正といった機能を持った現場を把握した中間管理職の存在意義がある。
それが能力的にできない、あるいはその機能を理解していない中間管理職が機能していない。
3.新しいことを生み出したり、課題を改善したりという組織風土、制度がない、というのが第三の理由だ。
これは1、2に大いに関連するのだが、上がダメでも、現場でそうした発想は生まれるはずである。これを行動に移せるかどうか、というところが現場の課題だ。
多くは居酒屋で会社や上司の悪口を言い合って終わっているのが現状だが、それでも評価面談の際に、多少なりとも意見を言い機会はあるはずである。それがダメなら、さらに上の上司や、人事に伝える。これらができないのは、組織や制度の問題だが、そうした意見を聞く姿勢があるかないかは風土の問題、柔軟性の問題だ。

こうした課題はもっと色々あるだろう。組織というよりは、特定個人の問題であったり、固定化された風習というのもある。それを放置しているのが何かは実に様々だ。
したがって、これらを変えたり、是正するのはかなり難しい。それぞれが悪意だけでなく、そういうものだ、あるいはこれしかない、といったある意味での確認を持っていると、衝突しかなく、これは上位職位のほうが勝つのがふつうだ。

となると、これらの課題を解決する新たな方法を考えたほうが効果的であることが多い。
例えば小集団改善活動、経営への提言、新規事業提案といった制度だ。
これは、制度自体は経営に貢献しやすいので、反対する理由が少ない。もちろん、そんな無駄なことをやるのはコストの無駄だという意見も出るだろうが、かなり小さい。みんなの知恵を活用する、あるいは考える経験をさせるのはいいことだという通常の判断が可能だからだ。
したがって、この運営方法でどこまでできるかだ。
これらはおそらく事業部長とか、経営企画とかといった、比較的シンプルな組織で検討されることが多い。かつ実行責任者は課長レベルだろう。そうなればそこに意見を言うのは現場でもたやすいはずだ。

まず、現状の活性化という点で書いてみた。

マクロマネジメントとミクロマネジメント

マネジメントには、マクロマネジメントとミクロマネジメントという2種類がある。
もちろん分類方法の一つに過ぎないが、これはスタンスの違いである。

簡単にいえば、相手、多くの場合メンバーだが、その相手を、考え方からやり方、行動まですべて指示するのがミクロ。この場合、考え方より、やり方、作業レベルに重点を置くのが特長だ。
これに対してマクロは、目的と考え方を指示して、あとは自分で考え工夫してやらせる裁量度の高いマネジメントである。

ようは相手を自分より下で未熟だと考えるか、独自の能力をもっている人として捉えるかの違いだ。

これはメンバー育成という観点だけでなく、組織のポテンシャルを左右する大きな違いが有る。
例えば現場を知らないマネジャーが(極端な例のようだが、これが往々にしてある)、自分の経験や知識だけで封神計画を立てて、その通りにメンバーにやらせようということがあった場合、悲劇が始まる。うまくいくかいかないか以前に、メンバーとの一体感はまず生まれないので、想定した以上の効果は産みにくい。計画通りということはあるにせよ、だ。
だから、組織としても、そこで働く人間としても、おもしろくはならない。

おもしろくない仕事は作業であり、新発見や意外性は生まれない。
それには無駄と思える、計算想定以上の何らかの要素が必要だからだ。

したがって、マネジャーの能力、想像力以上のものは生まれない。
結果その組織は堅実だが、おもしろくない。堅実というのは、変化の激しい環境では停滞であり、経営的には悪になる。

事細かな活動管理は、悪である。